魚村 晋太郎


勝ち負けの淡くなりゆくわが生か 水木の花もいつしか終わる

三井修『軌跡』(2006年)

水木は、日本中の山地に分布し、公園樹としてもよく見かけるミズキ科の落葉高木。
5月から6月、白い4弁の花をつける。ひとつひとつの花は小さいが、新枝の先の散房花序に密集してつくので、新緑のなかでも目につきやすい。
青葉がうっすらと雪をかぶったような、清楚な印象がある。
春、新芽を出す時期に大量の水をすいあげ、枝を折ると樹液が多く出るので水木の名がついたという。
秋には青黒い小さな実をつけ、ヒヨドリが好んであつまる。

水木と名の付く木はほかにもある。
土佐水木(トサミズキ)や日向水木(ヒュウガミズキ)は水木といっても、マンサク科で、桜の頃、葉に先立って淡黄色の花穂を下向きにつける。
庭木や街路樹としてよく知られた花水木は同じミズキ科で晩春に花をつけるが、大きな花びらに見えるのは総苞片という葉の変化したもの。
一首から、花水木を思い浮かべる場合もあるかも知れないが、いつしか終わる、という下句には、水木の花のすこしはかなげな姿のほうがふさわしい。

子供のころは、毎日のようにちいさな勝ち負けを繰り返す。
じゃんけん、草野球、腕相撲。もちろん喧嘩だってする。
他愛のない勝ち負けを繰り返しながら、子供は人と競い合って生きてゆく訓練をするのだ。
社会に出てからは、職種やそれぞれの気質によって、常にライヴァルがいて毎日が勝負のように思える人もあれば、おだやかに自分の仕事の領域をまもる人もいる。

かつて、主人公は人生の勝ち負けを意識することがあった。
それがこのごろは、一歩ひくような心持ちになっている。或いは、なにが勝ちでなにが負けなのか、はっきりとわからなくなった自分に気づいた。
主人公の心境の変化には、季節のうつりかわりが微妙にかさねられている。
水木の花が終わる頃、さわやかな初夏は過ぎて、季節は梅雨から盛夏へと向かってゆく。
淡い一首ではあるが、枯れてはいない。
自身をみつめる壮年の男の横顔もそこに浮かんでくる。