ヒト以外ノモノノ生(シヤウ)ニハ使命有リ晩鴉(バンア)ノ夫(ソレ)ハ感傷ノ駆除

小笠原和幸『穀潰シ』

生まれ出た命に使命はあるのか。一応、あるということになっている。だからこそ、人の命は地球よりも貴い、という言説が生まれる。しかし作者は、「ヒト以外ノモノノ生ニハ使命有リ」と言う。つまり、人の生には使命はない。虚無的な見解である。では、人以外の生における使命とはいかなるものか。その一例として挙げるのが「晩鴉」、日暮れに飛ぶカラスであり、その使命は「感傷の駆除」――。

物事に感じて心を痛めること、悲しみ同情する心を感傷と呼ぶ。作者にとって、そんな心は必要のないものなのだ。だから、己の内面より感傷を取り払ってくれる晩鴉に「使命」、つまり存在意義を与えている。しかし、夕暮れのカラス自体、巣に還ろうとする鳥の孤独な姿を見せる、感傷的な存在ではないか。そんなカラスを見ることで感傷を駆除すること自体、感傷的な行為のようにも思える。この無限連鎖の中に、虚無的な視点を支えとして「生」を生きる人間の悲しさがあるようにも思うのは、深読みだろうか。

片仮名と漢字による独特な表記は、小笠原が1984年、「不確カナ記憶」30首で短歌研究新人賞を獲得した時以来、意識的に用いている文体だ。「晩鴉」などの硬い漢語の印象と相まって、世俗を離れた隠者の漢詩のようでもあり、己の本音を隠す目くらましのようでもある。そして、歌が本来持っている「感傷」を生み出さないためのものでもあろう。そんな〈短歌否定〉を短歌で行うということの内部に、人であることをやめられない人の悲しみが、宿されてもいるようだ。

    闌干ト冬ノ星座ハ輝ケリ未来世抔(ナド)ノ在ラヌ証左ニ

この「闌干」は手摺りではなくて、星がきらきらと輝くさまを示す。ここにも小笠原の漢詩的表現への偏愛が見える。来世などない。人の生は今生で終わり、死すれば無、そんな虚無的思想の中に輝く冬の星座はその実、作者のロマンチストたる一面を物語っているのかもしれない。

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