石川 美南


人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天

永田紅『日輪』(2000)

 

10歳の頃、小学校で「1/2成人式」なる行事があった。「成人するまであと半分。今のうちからしっかり自覚を持とう」という趣旨で、将来の夢を考えたり、10年後の自分に手紙を書いたりする。

当時の私にとって、大人というものはたいそう立派な存在だった。20歳ともなればきちんと天職を見つけ、自立した生活を送っているに違いないと(何の根拠もなく)信じていた。だから、「1/2成人」と呼ばれたときは、背筋がぴんと伸びるような気がしたものである。ニブンノイチセイジンという言葉の響きも、別の星からやって来た知的生命体みたいで、輝かしく思われた。

それから時は流れて2012年。初詣に向かうバスの中で、ふと「31歳ってことは、私はもう『3/2成人』を越えてしまってるんだなあ」と思い至り、愕然とした。ニブンノサンセイジン。なんという中途半端な響き。とっくに成人しているはずの私は、かつて思い描いた大人のイメージには程遠く、今日も未熟な心を抱えて右往左往するばかりではないか。

 

永田紅の有名な一首を思い出すのは、たとえばこんなときである。

20歳になれば、20歳ってどうも馴染めないなあと思う。30歳になれば、30歳ってこんなはずじゃかなったのになあと思う。60歳になれば、本当に60歳かしらと思う。それぞれの人が、それぞれの「馴れぬ齢」を持て余しながら日々を生きている。見上げればユリカモメたちが、雲を突き抜けることも地上に下りてくることもないまま、宙空を漂っている。 

永田紅がこの歌を作ったのは20歳前後。自分自身の自意識だけと格闘していてもおかしくない年齢で、「人はみな馴れぬ齢を生きている」のだと看破したところに、作者の鋭さと優しさがある。
ちなみに、ユリカモメは京都の鴨川付近でよく見られる鳥。京都は、永田紅が学生時代を過ごした土地でもある。

同じ作者の歌をもう一首。

 

写真にはいつでも誰も若かりきわかいわかいと言いて繰りゆく

『ぼんやりしているうちに』(2007)

 

どんなに馴染めなかった年齢も、通り過ぎてしまえばみんな「今より若かった頃」として、写真の中に収まってしまう。カメラに向かって微笑んでいる私たちの姿が、少し寂しく、少し懐かしい。