石川 美南


電車でも眠ってともだちの部屋でも眠ってなんのために行ったのか

平岡あみ『ともだちは実はひとりだけなんです』(2011)

友だちの家に行く途中の電車で昏々と眠ってしまう。辿りついた友だちの家でもまた、ほとんどお喋りもせずうつらうつらしてしまう。これじゃあ眠るために出かけたようなものだなあ、と考える。ただそれだけの内容なのだが、電車でも友だちの前でも一人きりで眠る少女の姿が、何だかひどく孤独に思われて、胸の辺りがちくっと痛む。

初句の「電車でも」はきっちり5音だが、2句目以降はほとんど定型に収まっていない。「~でも眠って」のリフレインと相まって、この歌自体、舟をこぎながら呟いた寝言のようにも見えてくる。彼女は本当に一日中眠たく、そして一日中寂しかったのだ、きっと。

『ともだちは実はひとりだけなんです』は、平岡あみが12歳から16歳の間に作った短歌を編集したもの。「父との関係」「母との関係」「恋」「その他(友だち、学校生活など)」という大まかなテーマごとに章が分かれており、一人の女の子が、家族や友達についてあれこれ考えながら成長していく様子が体感できる(ちなみに、この歌は14歳の頃の作だという)。

あとがきに、「わたしは、考えることがすきで、その途中のことが短歌になっていきます」とある。考えた結論ではなく、「途中のこと」が短歌になるという捉え方と、「短歌になっていきます」という現在進行形が、妙に生々しくて面白い。

作品として評価しようとした場合、定型にうまくはまっていない歌や、内容が平板すぎる歌も多々あるのだが、平岡あみが誰の手も借りず、自分自身で「考えている」という感触は、内容と文体の両方から冴え冴えと伝わってくる。

五歳のとき父が出て行ったと言われわたしも同じだとうなずいた

荻窪の空手道場の前で今週もまた父が待ち伏せ

父親はあれでいいのかネックレスつけて会社にいってるようだ

夜八時に父は新宿に出て来いとわたしの年齢わかっているのか

父をテーマにした章、12歳の頃の作品から。「父親はあれでいいのか」という大人びたフレーズに一瞬笑ってしまってから、そんな風に父を心配してあげなくてはならない少女の強さと寂しさに打たれた。

谷川俊太郎の詩から問題を八問も作る国語の先生

生徒の理解度を数値で評価するためだけに、教師は短い詩から「八問も」試験問題を捻出する。こんな醒めた批評の眼を前にすると、私はすっかり不安になってしまうのだ。自分の書く鑑賞文(たとえばこの文章とか)も、「詩から問題を八問も作る」ようなシロモノになってはいないだろうか、と。