父われを見むと来たれる東京の子もうれしみて席に加はる

窪田空穂『冬木原』(1951)

 

日曜日の夜、渋谷からタクシーに乗った。途中でポストがあったら手紙を投函させてください、と伝えると、愛想の良い運転手さんは、ポスト、ポスト、と呟いた。

「最近ポスト少なくなった気がしますよねえ。コンビニでも出せるし」

「そうですね」

「コンビニで何でもできますからねえ。航空機のチケットがあんなに簡単に買えるようになるなんて」

運転手さんは、コンビニでのチケット購入方法や、数ヶ月前に買うと料金が幾ら安くなるかなどを、事細かに教えてくれる。

「飛行機、よく使ってらっしゃるんですね」

「最近、実家が鹿児島になったから」

「ああ、鹿児島までだと飛行機代もけっこうかかりますもんね」

と言ってから、「最近実家が鹿児島になった」という表現に引っかかりを感じて、聞き返す。

「ええ、元は福島だったんですけど」

あっと思った。

彼の実家は高台にあって津波の被害は免れたが、避難生活を送ることになった。80代の父親は鹿児島で、娘たちは新潟で暮らしている。あれ以来、実家には一度も戻っておらず、家屋は大きなひびが入ったままになっている。たとえ戻れる時が来ても戻る気はないと、父親は言っている。

「お正月は(チケットが)高くて行けなかったから、ゴールデンウィークの分を今から買ってあるんです。鹿児島にみんな集まるんですよ。有給、全部使ってしまいますけど」

そうか、だからさっき、あんなにチケットに詳しかったのか。

降り際に、

「じゃあ、ゴールデンウィークはごゆっくり」

と言うと、運転手さんは心なしか少し寂しそうに笑った。ポストのことは二人ともすっかり忘れてしまって、手紙は結局、翌日家の近くで投函した。

 

 

窪田空穂は1945年3月、東京から長野県の生家に疎開した。この日は、空穂69歳の誕生日祝いを兼ねて歌会が催された。疎開先ではなかなか手に入らない頭つきの魚を持ってきてくれる人もいて、皆で赤飯を食べ、歌のことや空穂のことを大いに語り合う、賑やかな会だったようだ。

友の訃報に際して作った歌や、離れて暮らす家族を思う歌、疎開してきてしまった悔しさの滲む歌などが並ぶ中、この歌会の一連は、掛け値なしに明るい。

東京から父の様子を見にやってきた息子が、いそいそと「うれしみて席に加はる」姿を思い浮かべると、何とも言えない気持ちになる。そんな息子の様子を歌に書き留めた父の視線も、あたたかい。

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