棚木 恒寿


雨ゆゑにブルドーザーが休む日の地表いまだけ本音のにほひ

 

                                                                       今野寿美『雪占』(2012年)

 

 天候が私たちの生活を左右しない時代である。私の住む関西でも今年は何度か雪が積もったが、電車や地下鉄は遅れながらも動いており、会社や学校が休みになるということはなかった。おそらく、鉄道会社は年に数度の雪のために多額の対策費を計上しているのだろう。荒天の日も、私たちは頑ななまでにいつもの日常を続けようとする。雪や台風の時くらいは皆で休んだらいいのにと私は思うが、現代社会はそのようには回っていない。

 歌に戻ると、雨のために工事が休みになったのであろう。「雨ゆゑに」というふうに因果をつけているが、天候によって物事の進行が左右されているということに、なつかしさを感じたのでないだろうか。「ブルドーザーが休む」のという、僅かな擬人化もいいと思う。連日の酷使に耐えたブルドーザーが一服しているという風情があり、「工事が中止になる」では歌にならない。「休む日の」の「の」でひと呼吸おかれながら下の句に移る。そんな日の地表は掘り返されることもなくゆったりとしており、「いまだけ本音のにほひ」がするというのである。「本音のにほひ」とは思い切った表現だが(本音の匂いってどんな匂い?)、雨の日のどこか埃っぽい土の匂いがリアルに想像される。今日は掘り返されることのない土からは本音を聞くこともできるだろうか。日常のなかのほっとする部分が、そっと差し出されているようである。

 

 今野の最新歌集『雪占』は、「歌壇」に昨年毎月30首連載ずつされた作をまとめた集である。連載の過程では、東北地方の大震災も起こる。「あれだけの現実以外のことについて言葉を発することはできない気がした」(あとがき)など、複雑な思いのなかでの作歌であったようだ。

 

海の底が見えるまで引いた水のことこどもの目にも世界壊れき

 

をさなごがきちんと静止するすがた放射線量測らるるため

 

東京のさくらほころぶ<その日>からもう三週間と思ふその日に

 

やりすごす春にあらねばこきざみにいかにも耐へてゐるさるすべり

 

両の耳出すと涼しい 当たり前がくつがへりたる春ののちいま

 

 三首目、<その日>は三月十一日のことである。当日川崎の自宅にいたという今野には震災は間接体験としてあり、<その日>と括弧づけでしか表現しようがないのだろう。しかし心の動揺はまぎれもなく、<その日>から三週間たった今も<その日>が続いているのである。「<その日>からもう三週間と思ふその日に」はやや言葉遊び的な要素を含みながらも、深く読者に突き刺さる心の揺れがある。東京という離れた地点からの歌であるが、このような個人の動揺もひとつと震災詠であると思う。「こどもの目にも世界壊れき」「をさなごがきちんと静止するすがた」はテレビから掬ったものかもしれないが、やはり痛切だ。

 

二百年くらゐは生きる亀にしてうんざりうんざり浮き沈みせり

 

薄ら氷の縁(へり)にくちばし差し入れるああこんな一所懸命もある

 

 このような歌は、対象から一定の距離をとりつつ軽やかに世界を構築する今野らしい秀歌であろうか。

 

 昨年一年間の時間と経緯が、編集としてはあまり巧まずに一冊にまとめられている。