田中濯『地球光』(2010)
今日は朝からどうも咳が出る。そういえば、と思って花粉症情報をチェックしたら、案の定、関東地方全域が真っ赤だ。
何年か前から、秋口から春にかけて、ひどい咳が止まらなくなるようになった。数年経ってから耳鼻科で花粉症のアレルギーを検査してもらったところ、スギやらブタクサやらカモガヤやら、数値が振り切れるくらいに反応が出て、先生から「今まで気づかなかったのが不思議だ」という顔をされてしまった。目のかゆみや鼻炎などの症状がなかったから、花粉のせいだとは思わなかったのだ。幸い、耳鼻科で処方してもらった薬がよく効いたのだが、花粉の季節になると何となくびくびくしてしまうのは悲しい。それまでは、春風といえば嬉しいものとばかり思っていたのに。
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そんな訳で、「はれやかな空調あれば」と読んだとき、まずは「この人も花粉症がひどいのかなあ」と妙に共感してしまった。いや、もしかしたら花粉症は全然関係ないかもしれないけれど、空調に「はれやかな」という形容を付けるのはかなり独特な修辞で、「この春の気配」を完全にシャットアウトしたい、という気持ちが表れている。語り手にとって、「この春」は「はれやかな」ものではないのだ。
連作を読むと、「来ている」場所は、郊外に建った巨大なショッピングモールだとわかるのだが、この歌一首に限って言えば、ショッピングモールを行き交う人々や店舗の様子は全く目に浮かんで来ない。むしろ、語り手が広い空間をたった一人で歩いているような寂しさが、しんしんと伝わってくる。
カタバミに包囲されたる駅ありぬ転職のこと夢のようなり
じんわりと春がしみでてくる空だ よく物落とす日なるよ今日は
爪先に小石がしのぶここちかな四月昇給の通知受け取る
いずれの歌も、春を迎える喜びを素直に受け入れられない、淡い屈託が魅力になっている。ポスドクという立場、慣れ親しんだ土地を遠く離れた生活など、作者のプロフィールと照らし合わせて納得できる部分もあるが、そういった背景を知らなくとも、春先のこの微妙な不安感は、多くの人が知るところなのではないだろうか。
画家だから巴里へゆくよと言うように春の布団に伸びる白猫
わが部屋に猫の具象の多きこと指摘されおり 僕じゃなくて俺
今日撫でし野良猫の名をつぎつぎと挙げるあなたの眉美しき
『地球光』にはしばしば猫が登場し、どの歌も例外なくかわいい(取り繕うように「僕じゃなく俺」と言い直す語り手も、ちょっとかわいい)。どちらかといえば「はれやか」ならざる作品が並ぶ中、猫の歌のところでほっこりできるのも、この歌集の隠れた読みどころである。