魚村 晋太郎


次の夏いっしょに行きたかった場所 あした言おうとしてたひとこと

谷村はるか『ドームの骨の隙間の空に』(2009年)

来年の夏には行こうね、と約束して、結局はいけなかった。
そんな場所が誰の人生にもいくつかはある。
若い時期には、そんな約束がいくつもあって、果たされないままじきに忘れてしまう場合も多い。
しかし、相手との別れ方によっては、一生忘れられない痛みとなる場合もある。

あした言おう、と思っていたのは、どんな言葉だろう。
歌集のタイトルや連作によってしめされるシュチュエーションをぬきにすれば、恋を失った主人公のややあまやかな感傷を、読者は一首から読み取るだろう。
或いは、そういう場所、そういう一言が誰にでもあるのだ、という恋の終わりについての箴言と読むこともできる。
かろやかな口語の歌だが、2句目から3句目への句跨りが、ボディー・ブローのように効いていることを付け加えておく。

連作のなかで、一首の前には、
  声がするドームの骨の間(あい)の空その手を離してはいけないと
の一首がならぶ。
ドームとは広島の原爆ドーム、爆心地に近い旧広島県産業奨励館の廃墟である。
1945年8月6日にアメリカによって投下された原子爆弾の犠牲者はその年の終わりまでに推定で14万人。現在、死没者名簿には25万人を超える犠牲者の名前が記載されている。
そして、その死者の多くには、残されてその死を悲しむ家族や友人や、恋人たちがいた。

過去の感傷にひたっているのではない。
ドームの骨組みの向こうに見える青空や、多くの犠牲者を飲み込んだといわれる川の流れを日日見つめながら、主人公は、死者たちの声や残された人たちの声に、いま現在の自分自身の生き方を、愛し方を問われているのだ。
あした死ぬかも知れない、もう二度と会えないかも知れない。それはどんな人間にとっても共通の運命だけれど、そのことがけして消えない記憶としてつよく焼きつけられた街。
主人公にとって広島は、命のかけがえのなさ、出会いのかけがえのなさを、あらためて思い知る場所となる。