六月の折鶴かなし八人の子供に長き死後とふ時間

木村輝子『海の話』(2008年)

日本人の平均寿命は現在80歳をこえているが、ある資料によると、1935年には48歳、明治・大正期以前は40歳にみたなかった。
人間50年、とは織田信長が好んだという幸若舞の「敦盛」にある言葉だが、その頃老人がまったくいなかったわけではなく、幼児の死亡率の高さが平均寿命をさげていたのだ。

天寿を全うする、という言葉があるが、天寿というのがどれくらいなのかも時代によって変わってくる。
いま、天寿、が80年くらいだとして、その80年を長い円筒形として思い浮かべてみる。
そうすると、夭くして亡くなったひとの人生には、みたされなかった円筒形の空白が長く遺されることになる。
あったはずの青春、はぐくまれたはずのあたらしい家族。
殺された子供たち、そのひとりひとりの長い死後の空白に作者の胸はいたむ。

そして、ほとんど同時に、その長い死後という時間を引き受けるのは、実際には子供たち自身というより遺された家族たちであることにも、作者は気づいたはずだ。
逆縁ほどかなしいことはない。しかも、理不尽な凶行によってわが子を失った親たちは、そのかなしみを一日も忘れることはできないだろう。
一首のうったえているのは、子供の命を奪われた肉親たちに、長い死後という時間がある、ということでもある。しかし、それを、子供に長き死後、と端的に表現したところに、一首のかなしみは極まっている。
修辞というより直感。ひとのかなしみは、ひかりをあびた感光紙のようにこのような言葉をえらぶことがある。

折鶴は、校庭で雨にぬれているのだろうか。
或いは、雨音の降りつづく教室で、生徒たちが追悼の折鶴を折っているところか。
紙のしめりけや、色紙のあのかすかな匂いも感じられる。
一首は、2001年に大阪教育大学附属池田小学校で1年生と2年生の児童8人が殺害された事件を題材にしていると思われる。
凶行に及んだ宅間守は「大量殺人をして死刑になりたい」と思ったのだという。
初公判でのみ謝罪と反省の言葉を口にしたが、その後も暴言をくりかえし、本人のつよく希望したことでもあったが、死刑確定の翌年の2004年に近年の日本としては異例の早さで刑が執行された。

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