魚村 晋太郎


足もとに寄り来る鳩はにんげんがにんげんを殺すことを知らざり

外塚喬『真水』(2000年)

人と鳩の、つきあいの歴史は古い。
紀元前3000年ころ、というから、いまから5000年も前、エジプトの漁船が漁況を港に知らせるために伝書鳩として、そのつよい帰巣本能を利用した記録がある。
古代オリンピックの優勝者を知らせるために各ポリスが用いたり、軍用の伝書鳩としては、ローマ帝国の時代から、第2次大戦直後まで使用された。
キリスト教世界では、霊魂、あるいは、聖霊の象徴であり、日本でもとくに白鳩を八幡神の使わしめと考えて神聖視した。
創世記には、ノアの洪水がおさまったとき、箱舟から放たれた鳩がオリーブの小枝を持ち帰って、陸地がふたたび現れたことを知らせたエピソードがあり、以来、平和の象徴としても用いられてきたが、1949年にパリで開かれた国際平和擁護会議のピカソのデザインによる鳩のポスターは特に有名だ。

鳩は、好きではない。ていうか、無理。(JK風に)
公園のベンチに座っていたりすると、あの赤い足が大量に押し寄せてくる。
動物のなかで、あんなに人間に対して警戒心のないものはほかにいないだろう。
野良猫にすりよられたりすると、それが餌欲しさからの気まぐれな行為であったとしても、なにか気持ちが通いあうようなここちよい錯覚を覚えるけれど、鳩のあの無差別に大量に押し寄せてくるさまは、物欲しげで浅ましい。

蹴飛ばしてやろうか、と思うことがある。
作者は、そこまで鳩を嫌悪しているかどうかわからないが、やはり鳩の無防備なさまにあきれている。
鳩はまるで、人間が自分たちに危害を加えることなど想像もしていないようだ。
あまつさえ、人間が人間同士殺しあうことなど、けっして想像がつかないに違いない。

日本人の平均寿命が、明治・大正期にいたるまでの長い間40歳にみたなかったことには先日も触れたが、ひとりの人間が老年をむかえるまで生き延びることは並大抵のことではなかった。
いま生きている人の多くは、奪われた側よりは、奪った側の末裔、殺された側よりは、殺した側の末孫、だともいえる。
戦争も、殺人も、許されることではない。が、人間の歴史が、絶えず戦争や殺人をくりかえしてきた事実にも目をそむけてはならないだろう。
一首には、日常の平和を信じきっている、人間自身への批判も感じられるのだ。