つの かる と しか おふ ひと は おほてら の むね ふき やぶる かぜ に かも にる

 

                       会津八一『鹿鳴集』(1940年)

 

 会津八一の歌は表記からして独特である。漢字仮名交じりに直すと「角刈ると鹿追ふ人は大寺の棟吹き破る風にかも似る」ということになろうか。ずいぶんと歌から受ける感じが違うだろう。

 鹿の角刈りのことを歌っているのだろう。角を刈ろうと鹿を追っているという人の勢いは、大寺の棟を吹き破る嵐の風に似ているという。温和なひらがな書きの表記に、つい読み過ごしてしまいそうだが、実はかなり大胆な取り合わせの歌といっていいだろう。鹿を追っている人の動きや様子は歌の中では詳しく書かれてはいない。むしろ省略されている。しかしながら、下の句の「むね ふき やぶる かぜ に かも にる」によって、鹿追いの人の息遣いや、額の汗までが目に浮かぶようだから不思議だ。鹿追い人と嵐の取りあわせは、「嵐」が「鹿追い人」の勢いの比喩のようになっている。

 そして、その二つを取り合わせるのはどこか俯瞰的な視点である。鹿追い人を眼の前にしての臨場感を立ち上げるような歌ではない。どこか遠くから、主体は鹿追い人か活躍する場面と嵐が大寺を吹き破る場面を等距離に見つめているようであり、それを天の視点からマージするようなのである。いかいも八一らしい視点であるといえよう。

その一方で、鹿追い人の勢いを眼の前にして静かに静かに八一も動悸している、そんな感じを私は受けて、ぞくぞくっとする。

 

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