もうここにおられんようになりました妻うらがえりうらがえり消ゆ

東直子『青卵』(2001)

 

「もうここにおられんようになりました」というフレーズ、そして消えてしまう妻というモチーフから連想するのは、いわゆる異類婚姻譚である。鶴女房は機を織っている姿を盗み見られて夫の元を去ることになり、雪女は、口止めしていた秘密を口にされるや否やかき消えてしまった。

「うらがえりうらがえり消」えていった妻の正体は、一体何だったのだろう。身のこなしが素早くて掴みどころのない、人ではないもの。はっきりと正体が明かされていない分、想像の広がる余地があって楽しい。けれども、「おられんようになりました」という方言には、妻だったものの生々しい「肉声」を感じる(本当ハ、ズット貴方の傍ニ居タカッタノニ)。

昔話の形式を借りて、人と人のつながりの儚さを伝えてくる、味わい深い一首だ。

 

  さようなら窓さようならポチ買い物にゆけてたのしかったことなど

  頑丈に握った指をゆっくりと開かせてゆく お別れですもの

  すれ違うガラス越しにさよならを開くてのひらひらめくひかり

  おしみなく小さな舌が指先を舐めていたこと お別れのように

 

東直子の「お別れ」の歌は、どれもほんのりと明るい。決別するものたちに心を込めて「さようなら」と呼びかけ、最後に「頑丈に握った指をゆっくりと開かせてゆく」ような、聞き分けが良くて優しい別れ。そこには、怒りも不満もないように見える。けれども、その明るい立ち振る舞いのなかにこそ、たまらない寂しさが潜んでいるようで、しんみりした気持ちになる。

 

  「久しぶり」と言うときはみなまぶしそう終わったことをぽつりと語る

 

別れの寂しさや悲しさをはっきり口にできるのは、きっと、何もかもが過ぎ去ってしまった後のことなのだ。

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