花山周子『屋上の人屋上の鳥』(2007)
ジャングルジムを掴み、よじ登る子供たちの手、手、手。それらは5時のチャイムと共にすーっと一斉に遠のいていき、つるつるとしたジャングルジムの骨組みの上には、夕暮れのぼんやりした光だけが遊ぶ。
子供たちの姿を引きの構図で捉えるのではなく、手だけをクローズアップしたことで、まるでジャングルジム自身の体感を写し取ったかのような、臨場感が生まれている。群がるように遊んでいた子供たちが帰ってしまった後の公園は寂しく、けれども安らかな気配に満ちている。
色に喩えるなら黄金(おうごん)のわが手眺めて夜(よ)は明けにけり
光放つ手を持つことを疑わず弟とわれは戦いき手で
怒りとはこんな形か美大予備校のパンフレットに手のデッサンは
ただ鳥を指差して立っていれば勝手に人が集まってくる
『屋上の人屋上の鳥』から、手や指の出てくる歌(の、ごく一部)を引いた。いずれも、生き生きとした手の表情が魅力的だ。
1~2首目は、「黄金のわが手」「光放つ手」という言葉が目を引く。「(せっかく黄金の手を持っているのに)何もしないまま夜が明けてしまった」というネガティヴな解釈も成り立つかもしれないが、ここではむしろ、自らの手を嫌味も衒いもなく「黄金色」に喩える前向きさ・力強さに注目したい。弟とわれのバトルも、素手VS素手であればひたすらに眩しい。この人の元に人が集まってくるのは、「ただ鳥を指差して」いただけではなく、その指が、まっすぐな光を放っているからなのかもしれない。
蒲団より片手を出して苦しみを表現しておれば母に踏まれつ
こちらはちょっとコミカルな味わいの歌。わざわざ〈苦しみ〉のポーズを取る娘も、それをひょいと踏んでいく母も、良い味を出している。