三枝昻之『水の覇権』(1977)
朝の畳に刺さっている一本の針。それは、誰かの志をまっすぐに裁ち、一瞬光を放って、そのまま地に落ちていったものなのだという。
「畳に咲く」という表現は、今読むとややキザすぎるようにも感じられるのだが、冴え冴えと光る針に込められた挫折の思いは、やはり胸を刺す。「誰れの志を裁ちて」という勇壮な歌い出しと、下の句の静かさの落差も印象的だ。
下落合 まことにわかきレーニンとめぐりめぐりておちあわざりき
千人と散りぢりわかつ一日を雪が戻れり 誰も戻らぬ
伝令のひとつ忘れしわれとわが父 戦後史にゆきはぐれたる
『水の覇権』は、一言でいえば深い挫折の歌集である。70年代。「われわれ」が散り散りになってしまった後、「われ」はどのように生きていけばいいのか。そのような苦い問いかけが、一冊全体を覆っている。
1首目。「めぐりめぐりて」の調子の良さや、「下落合」「おちあわざりき」というちょっとした言葉遊びが、むしろ絶望の深さを感じさせる。
2首目の、吐息のような「誰も戻らぬ」が重い。
くもの糸ひかり時雨もひかりしを忘れてどこにある秋扇
詩の底にきれぎれ睡る船長のこころたどれば春の潮騒
これらの歌にも喪失感の気配はあるが、「秋扇」や「春の潮騒」といった語の美しさが、かろうじて心を波立たせ、上に持ち上げているようにも見える。語り手にとって、挫折の後の長い時間を支えたものとは、言葉に対する強い美意識だったのではないだろうか。