喜多昭夫『青霊』(2008年)
いまや家族のかたちはさまざまで、子どものいない夫婦もめずらしくない。
けれど、夫婦に子どもが数人の家族形態があたりまえという価値観を信じてうたがわぬひとは、
そのかたちを、ときに不思議がる。
ほしくても子どもを授からないひともいれば、夫婦ふたりだけでいいというひともいる。
その理由も千差万別である。
この歌の「われら」は、自分たちに子どものいないことをそのまま享けとめているように感じる。
つれあいという家族の存在に幸せを感じながら、互いに見つめあう。
とりもなおさずそれは、愛情と信頼によって結ばれた、純一な関係である。
「しづかな火を焚きぬ」に、その姿がうつしだされる。
そして、下の句の「オカメインコにチャオ」がさらなる関係をしめしていておもしろい。
「オカメインコ」はインコではなくオウムで、頬がオレンジ色のほんわかした風貌もさることながら、「オカメインコ」という語感もおもしろく独特である。
「子のゐない夫婦」と「オカメインコ」の「チャオ」のつかずはなれずの生活は、どこかさびしいけれど、さびしいからこそ共に暮らす意味をいつも感じていられる幸福の空間でもあるのだ。