手を洗いすぎぬようにね愛してたからねそれだけは確かだからね

雪舟えま『たんぽるぽる』
(短歌研究社、2011

『たんぽるぽる』の初めの方で、ちょっと不潔とも思うようなことがうたわれる。特に子供時代の回想らしい歌である。

なめかけの飴をティッシュの箱に置きついに住まない城を想えり
理科室の舐めたら死ぬ青い石を指環にふさわしければ盗めり
なんでこうつららはおいしいのだろう食べかけ捨てて図書館に入る

二首目はほんとうにその石を舐めたというのではないし、つららを舐める(食べる)というのも、雪国の子供にはよくあることかもしれず、この歌を内容でもって不潔と断じるのはおかしいだろう。それでもこれらが妙に印象に残ってしまうのは、同時に次のような歌が出てくるせいでもある。愛するというのは、すこし汚いことなのだ。

るるるっとおちんちんから顔離す 火星の一軒家に雨がふる

掲出歌において、「手を洗いすぎぬようにね」と言い聞かせるのは、そんな不潔な、愛の世界から〈きみ〉が離れてしまうのを恐れるからだ。『たんぽるぽる』に登場する〈きみ〉はそういう忠告をされるほど潔癖とか、きれい好きという印象があるわけではない。「指なめて風読む」ことがあったり「男って妖怪便座アゲッパナシだよね」と言われたりする。あるいは、

全身を濡れてきたひとハンカチで拭いた時間はわたしのものだ

などという歌もある。この歌集の語り手にとって、これらの瞬間が恋愛のハイライトとして記憶にやきつくのはちょっとした〈汚さ〉に愛の充実を感じるからだ。

愛してたからねそれだけは確かだからね —— しかしその愛がまるで過去のことのように語られているのはどうしてなのだろう。『たんぽるぽる』という歌集を通読すれば、恋人はいつのまにか夫になって、主人公の生活の傍らにすっぽりおさまる関係に順調に発展していくように読める。それだけに、別れを告げた相手、離れていく相手に、まるで子供をなぐさめるように言い聞かせる、そんなふうに読める掲出歌のおかれていることは不思議に思えるのだった。

もしかするとこれは、主人公が、自分自身に言い聞かせている、そういうセリフなのかもしれない —— 恥ずかしいことに、ここまで書いてきて私はやっとその可能性に思い至った —— 。あなたにぴったりの人なのだからね。清廉になろうなんて思わないでいい。ちょっと不潔なままでいていい。ここまで愛してきたのだから、ぜったいに手を離さないでね、と。〈きみ〉と向き合う愛の日々からふと異空間へ抜け出してつぶやかれる、もうひとつの愛の歌だったのかもしれない。