早坂類『ヘヴンリー・ブルー』(2002年)
ヘヴンリー・ブルー。この西洋朝顔は、その名のとおりの鮮やかな青い花を、夏の終わりから秋にかけてたくさんつける。
繁殖力がつよいのだろう。近所にある小学校のフェンスのてっぺん近くまで蔓をのばし、秋になっても咲きつづけるこの花を毎年たのしんでいる。
朝顔、と名がついているが、昼のあいだにしぼむこともない。秋の太陽のしたでも、力づよく咲く花である。
「花であり世界でありわたくしであり」という息継ぎもできないほどの張りつめた調子は、蔓が空にむかってのびていく様子をうまくあらわしている。
また、「まざりあう青」はたくさんの花がまざりあっているようでもあり、また、空の青にヘヴンリー・ブルーの青がまぎれこんでいくようでもあり、高きにむかって咲き継いでいくこの花を見上げているときの感じを思い出す。
このように、文体やリズム、言葉ひとつひとつがヘヴンリー・ブルーそのものを表しており、
この歌のすがたはたしかに魅力的だ。
しかしこの歌にひかれたほんとうのところは、一首に覆われている強烈な自己愛。それは、なだめてもとめどなく溢れ出てくる強い感情である。
みごとに咲くあの青い「花」の群をみながら、「世界」を感じ、そしてそこに生きる「わたくし」を慈しむ。「世界」にたったひとりの「わたくし」というおもい。