魚村 晋太郎


それからはただひたすらにたかなりて轟く夏の雲となりしが

福島泰樹『無聊庵日誌』(2008年)

夏のつよい陽射しははげしい上昇気流をうみ、積乱雲を発生させる。
その頂では、水蒸気が昇華して氷晶になり、ぶつかりあって成長する。
こわいほどまばゆい雲の峰の白さは、その氷晶のかがやきなのだろう。
対流圏をつらぬき成層圏の底部まで達する積乱雲の雲頂は高さ十数キロにおよぶ。
体積あたりに含む水の量はふつうの積雲よりもずっと多く、ひとつの積乱雲に含まれる雲水量は、百万トンとも数百万トンともいわれる。
十トントラックで十万台以上の水が時速百キロで天空をかけのぼり、やがて驟雨となって崩れる。
そう思うと、日日あらわれる積乱雲は、日蝕におとらぬくらい神秘的な天空のショーである。

一首は、主人公自身の、すぎさった季節への追懐である。
それから、の前も、なりしが、の後もするどく切捨てられ、省略されているが、主人公がまぶしくふりかえるのは、激しい恋の一季節なのだろう。
ある出会い、或いは、ある告白。忘れることのできぬそのことのあと、主人公の胸はひたすらにたかなって、天を突く雲のような激しさで相手をもとめた、のだったが。
いまとなっては、それも遠い一季節のことで、うつくしい面影も、あのはげしい思いも、いったいどこへ過ぎ去ってしまったのか。

ひとは経験したことのほとんどを凄まじいはやさで忘れてゆく。
そして千秒のうちの九百九十九秒を忘れるとき、残りの一秒は、ときに千倍のかがやきとなり、ときに千倍のいたみとなって、ひとつぶの鉱石のようにこころにとどまるのかも知れない。
状況の描写を切り落とした一首には、遠い日のかがやきが凝縮され、ふりかえるものの茫漠とした苦さがその背後ににじんでくる。

3句目までの平仮名の表記はもこもこと成長する雲を思わせ、轟く、の語は雷鳴を表すと同時にそびえる雲のヴィジュアルのようでもある。
雷鳴は、これからはじまる驟雨の先ぶれなのだ。