吉野 裕之


たぶの樹を見に行つたらしい 暮れがたの二階の気配失せてしばらく

今野寿美『かへり水』(2009年)

  

棚田とふこよなき景が百年の当然として山古志村あり

走り出す人の傾き 白鳥の水を離るるときの傾き

打ち明けるやうに晩秋ひるさがり隣家に赤子の声するといふ

お正月に鮟鱇鍋を所望する子を知るやうで知らないやうで

さざなみの近江今津にわれらのみ降りて深入りする春のなか

笑ふなら忍びて笑へ水際なる螢のあつちこつちのやうに

水飲んでああと発するゆふぐれの夏のさいはひなる貌がある

 

日常をていねいに描きだしていこうとする意志。短歌という詩型が内包する時間を引き受けようとする意志。彼女はこうした意志をもって、短歌に向き合っているのだと思う。それはやわらかな韻律となって、読者に届く。そこでは、彼女を取り巻くものやことが、おのずと輝いている。

 

たぶの樹を見に行つたらしい 暮れがたの二階の気配失せてしばらく

 

「降りてきて文法ひとつ確かめてゆく背を伴侶と呼ぶ 百日紅」という一首もある。伴侶は日ごろ、二階で仕事をしているらしい。「文法ひとつ確かめて」。つまり、彼女に確かめたのだろう。もしかしたら辞書を引くだけでもよかったのかもしれない。でも、聞いてみる。そして自分の仕事場へ戻る。確かめたのは、文法だけではない。

そんな二階の伴侶の気配がない。「失せてしばらく」。ちょっと前から気づいていたのだが、ふと、確信したのだろう。「たぶの樹を見に行つたらしい」。たぶは各地の鎮守の森によく育っているので、私たちには親しい樹木だ。大きいものだと30メートルくらいにもなるらしい。

ふたりで、「たぶの樹」について話していたのだろう。理由はわからないが、伴侶は「たぶの樹」に興味をもっていた、あるいはもったのだ。ふらっとその「たぶの樹」を見にいった伴侶。そう、ひとりで。

それがいいのだ。この距離の取り方が。伴侶との距離の取り方は難しい。教科書があるわけではないし、正解があるわけでもない。むろんこの一首だって、教科書でも正解でもない。でも、なんだかうれしくなる。ふと、自分の伴侶を思ったりして。