君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

古歌「国旗及び国歌に関する法律」(1999年)

 

〈君が代は/千代に八千代に/さざれ石の/いわおとなりて/こけのむすまで〉と5・7・6・7・7音に切って、一首三十二音。

 

「君が代」が五七五七七の歌であることを、あなたはいつ知っただろうか。長いあいだ私はちっとも気がつかなかった。四十代後半で短歌と出会い、「古今和歌集」の「巻第七 賀歌」のページをひらいて初めて知った。そこにはこういう歌が記されていた。

わが君は千代に八千代に細れ石のいはほとなりて苔のむすまで  読人しらず 歌番号343

*「千代」に「ちよ」、「八千代」に「やちよ」、「細」に「さざ」、「苔」に「こけ」のルビ

 

「君が代」とは、初句が違うだけだ。「君が代」って短歌だったのか、と虚をつかれた。むかし小学校で何かの式のときに自分が歌ったあれは、ボクシングの国際試合でリング上のボクサーが歌うあれは、和歌という名の短歌だったのか。昔からそこにあることばが、ふいに五七五七七の姿で立ちあがってくる驚きは、美空ひばりの最後のメッセージが短歌だと知ったときの比ではない。

日本人が国歌を歌うことって、短歌を歌うことだったのか。

だまされた、というのとは少し違う気もするが、実感として一番近いのは、「だまされたような気がする」だ。いまでも多くの人は、少し前の私のように、それが短歌だとは知らずに「君が代」を歌ったり聞いたりしているのだろう。

 

『日本古典文学全集7 古今和歌集』(小学館)は、歌番号343の一首をこう解釈する。〈わが君のお年は千代、八千代にまで続いていただきたい。一握りの小石が少しずつ大きくなり、大きな岩になり、それに苔が生える時までも〉。解説には、〈『和漢朗詠集』にもとられ、中世には第一句が「君が代は」となり、現行の国歌と同じ形になった〉とある。

 

国歌としての「君が代」をめぐる社会的な議論は多々あるが、ここでは立ち入らない。それにしても、と思う。国歌の歌詞という、公中の公のことばが書かれたのと同じ形式で詩を書く、五七五七七の詩を書く、とはどういうことか。短歌って、何なのだろう。

 

さて、「君が代」が短歌だと知ったとき、そうか日本人なら誰でも労せずして短歌を一つ知っていることになるのだな、と私は思った。国歌なのだからと。だが実情はどうもそうではないらしい。この一文を書くにあたり、ネットで調べたところ、「君が代」は習ったことも歌ったこともなく、歌詞は知らない、という人が相当数存在するのだ。「私は歌えません」という投稿を多く目にした。「君が代」を歌えるのは、日本人の何割くらいの人間なのか。

 

ともあれ、こうはいえるだろう。「君が代」は、日本人なら誰でもとまではいかないが、7月6日の本欄で紹介した俵万智〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉よりも、また他のどの一首よりも、圧倒的多数の日本人に知られている短歌である。

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