小林朗人「終点」(同人誌「一角」2013年)
歌全体が心の暗喩なのだと思う。ただ「森にいる」のではなく「夜更けの森にいる」という。「夜更け」の時間指定は「ずっと」と矛盾する。現実世界ではいつか朝が来るけれど、この歌の世界では「くるしさ」がある限りは夜が永遠につづく。夜が続くならば、せめて「火」をひとつくれ、ということだろうか。「そのあかり」「そのくるしさ」の二つが「で」によって同列にまとめられ、「火」を抱えたまま苦しさに耐え続ける。「火」のあかりは苦しみを癒さないが、暗い森にいる自分の周囲をわずかに照らす。見える範囲がわずかでも、自分の体や足元が見える。暗闇に同化する自分のすがたを照らすあかりを主体は求めている。「いるから」を「待っているから」と読むなら「火をひとつくれ」は暗闇にいる<私>を見つけに来てほしいというメッセージに見える。このあたりは読みがわかれるところだろう。
この歌がすごいのは極限まで純化された言葉の選択である。言葉のまとまりごと切ってそこから連想するイメージを考えれば、「火をひとつくれ」はライターの火かもしれない、「そのあかり」はタバコの火を大袈裟に言っているかもしれない、「森」は実際にはアパートの一室かもしれない。しかし、統合された「うた」として全体を味わうと、火・あかり・夜更け・森の素朴な名詞句が菌糸の根のように読者の意識の中に広がって絡み合う。意識が暗喩の方へ外れていかないように、言葉そのものを味わうように、「うた」の内部に引き止められる気がする。火も森も文字通り「火」「森」として読みたくなる。
破調の歌は、破調の意図の読み方や定型のリズムを探すことに思考のリソースが持っていかれる。特にこの歌の場合は少し変わっていて、初句の欠落と下の句の字余りで読むと滑らかな調べを感じることができる。下の句は四句と結句どちらに字数を寄せるか迷ったので比べてみる。
◆句分けA:四句と結句で字余り
(○○○○○)/火をひとつくれ/そのあかり/そのくるしさでずっと/夜更けの森にいるから
(5)/7/5/10/11
◆句分けB:結句14音字余り
(○○○○○)/火をひとつくれ/そのあかり/そのくるしさで/ずっと夜更けの森にいるから
(5)/7/5/7/14
Aが良いだろう。Bだと定型のリズムに近づく分「ずっと夜更けの森にいるから」が唐突すぎてダサくなる。「ずっと……」と呼吸を挟んだ方が「夜更けの森にいるから」の切実さが増す。
初句の欠落で読むとき、歌は二句七音から始まる。そうすると「火をひとつくれ」の後の一字空けは短い小休止になる。
◆句分けAの間の取り方
(○○○○○)火をひとつくれ¦そのあかり|そのくるしさでずっと|夜更けの森にいるから
前提として、定型の場合は、五音の句の句末で長い間を、七音の句の句末で小休止を挟んで読むのが自然だろう。
5|7¦5|7¦7
句分けAでは四句と結句がそれぞれ大幅な字余りとなり、息が続かないので、小休止ではなく長い間を挟む。「そのあかり」「そのくるしさでずっと」のあとの「|」の一呼吸は同じ長さになる。定型であれば四句相当の句末「¦」はとなるが、この歌ではそうならない。これで各句の音数だけでなく間の取り方においても定型を外れる破調となる。
もう一つ、間とは別に呼吸のタイミングがあるので「V」で示す。上の句と下の句の間に置くのが自然だろう。二句切れの場合だと文章は二句できれるが、それでも呼吸のタイミングはやはり三句の後で読むのが自然だと思う(小池光は五七調の歌の間の取り方を五音の句末ではなく頭に置くとしている。これはまた別の機会で触れたい)。
5 7 5 V 7 7
◆句分けAの呼吸の位置
(○○○○○)火をひとつくれ そのあかり V そのくるしさでずっと夜更けの森にいるから
この位置に呼吸を置かないと「そのくるしさでずっと夜更けの森にいるから」を読むときに息が続かなくなる。定型と同じ位置に呼吸を置くのが体に負担のない読み方になる。
句の欠落や字余りは破調、間の取り方は破調、呼吸の位置は定型。完全な破調ではないところが、この歌の不思議な読みやすさの要因かもしれない。
