山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』(1990年)
柘榴割る力きたりて国家焼くべき火はいづくにねむるいづくに
死体なんか入つてゐないのが残念だあけたつていいようちの冷蔵庫
夥しき蜻蛉を吐くけふのかぜシベリアよりの風とつたへて
恐龍のあぎとのかたちの雲浮びおまへをはじめておまへと呼びき
夢に来し木馬やさしくわれを嘗め木馬になれとはつひに言はざり
山田富士郎の『アビー・ロードを夢みて』は、たとえばこうした作品を収めている。なんだか懐かしい感じがする。
20数年前の作品たちだが、それは遠い昔のことなのかもしれない。科学技術の発達ほど、詩歌はスピードをもってはいない。とはいえ、ある意味では、すごいスピードをもっているのかもしれない。しかし、そのスピードは何をめざしているのか。おそらく、私たちは知らない。
新宿駅西口コインロッカーの中のひとつは海の音する
イメージの鮮明な一首だ。新宿駅は東京の副都心・新宿に位置するターミナル駅。JR東日本、京王電鉄、小田急電鉄、東京メトロ、東京都交通局が乗り入れており、一日の平均乗降者数は約300数十万人。なんとも大きな駅である。私もときどき利用するが、ほとんどが東京メトロから京王電鉄への乗り換えで、駅の全体はまったく理解していない。
ちょうど西口を通って乗り換えるのだが、多くのコインロッカーがある。いま、海の音はしていない。私が聞き逃しているのかもしれないが、海の音がするようには思えないのだ。しかし、あの頃はきっと、海の音がしていたのだ。そう、ひとつだけ。確かに、そう思う。
1980年代は、そういう時代だった。「コインロッカーの中のひとつは海の音する」。都市の精神は、それによって支えられていたのだと思う。