岡部文夫『雪天』(1986年)
*「降」に「ふり」の、「上」に「へ」のルビ
岡部文夫は、1908年4月25日に生まれ、1990年の明日8月9日に82歳で死去した。石川県に生まれ育ち、新潟県、富山県、福井県などで人生の大半を送り、北陸の風土をひたすら詠いつづけた人である。
砂の上に降っていた雨は、ますます激しくなった。砂の上に散らばっている白い花殻は、その激しい雨の中でさきほどよりむしろ明るく見える、と歌はいう。作歌の出発点は、「激しい雨の中では白い花殻がいっそう白く見える」という把握だ。すぐれた把握であり、歌はそこで半分出来たわけだが、その発見をどうことばに定着させるかが、勝負の決め手となる。入力したものをどう出力するか。入力出力のどちらにも長ける作者は、この場合「~は、~までに+体言止」という型を採用した。
〈雨の降/はげしくなりし/沙の上は/明かるむまでに/白き花殻〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。過不足ないことばの運びが、様式にぴたりと嵌ってゆるぎない。この景はこの型に流しこむ、と決めるのは熟達者の勘だ。作者当人には判断とも意識されないだろう、おのずから成る判断。同じ情景を描いても、たとえば、「形容詞の名詞形止による二句切れ+~は、~く~く」の型を使って、〈降る雨の降りのはげしさ砂の上に散らばる花は白く明るく〉などとしたのでは、いっこうに締まらない。
ただざまに吾の目前に迫りつつ暴風の海黒ききびしさ *「目前」に「まさか」のルビ
ひとときの隙さへもなき海鳴の響みは伝ふ吾にまともに *「隙」に「ひま」、「響」に「とよ」のルビ
魚市の朝のすがしさ飛魚は飛魚のみに藍藍とあり *「藍藍」に「あゐあゐ」のルビ
同じ一連にならぶ作だ。どの歌も出来ている。様式的に決まっている。一首目は、「~に、~に、~つつ+形容詞の名詞形止」の型。二首目は、「体言止の三句切れ+叙述+倒置句~に~に」の型。三首目は、「形容詞の名詞形止の二句切れ+リフレイン二回+あり」の型。
しかし、歌集のページを繰っても繰っても、端正な歌、様式的に決まった歌が続くと、詠み巧者とはこういうものかと思う一方、同じく詠み巧者である大辻隆弘のことば「だからはっきり言うと、短歌なんて全部類型の、いままであったパターンをどう使い回すかということでしょう」(『いま、社会詠は』2007年 青磁社)が浮かぶ。発言は、社会詠の作り方が、戦争と日常の対比というパターンに陥っているのではないか、という議論の中で成されたものだが、短歌全般についていえることだ。
短歌の上手さと、類型パターンの使い回しの上手さの間には、何があるのだろうか。