「シュッ、コロリ」などと謳ふを笑ひつつ買ひしがまことシュッ、コロリ死ぬ

桑原正紀『一天紺』(2009年)

 

「コロリ」は殺虫剤のネーミング界におけるスターだ。虫コロリ、ケムシコロリ、アブラムシコロリ、アリの巣コロリ、ナメクジさそってコロリ……。これに比べると、ゴキジェットプロ、アリフマキラー、バルサンまちぶせ等は、いまひとつ訴求力に欠ける。「コロリ」に、「ホイホイ」と「ゾロゾロ」を加えた三つを、殺虫剤ネーミング界の御三家と呼んでみたい。

 

コロリ、ホイホイ、ゾロゾロ。どれも可愛らしい語感だ。虫といえども生き物を殺す、殺生をするという罪悪感、仏教的価値観に生きる大多数の日本人が持ってしまう罪悪感を、これらあどけない言葉によって払拭するのである。

 

〈「シュッ、コロリ」/などと謳ふを/笑ひつつ/買ひしがまこと/シュッ、コロリ死ぬ〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。ずいぶん長い一行のように見せかけつつ、音数はきっちり三十一に合わせて来る作者だ。「シュッ、コロリ」を投入した時点で、歌は勝負がついた。宣伝では「シュッ、コロリ」なんていっているけど、本当にそんな簡単に死ぬのかねえ、と家族で笑いながら〈わたし〉は殺虫剤を買った。使ってみたら、虫はまさにシュッ、コロリと死んだ。

 

〈わたし〉は怯えているのである。猛毒に。猛毒が苦もなく手に入ることに。そういう社会に。虫がこれだけすぐ死ぬのだから、人間だってわりとすぐ死ぬだろう。「まことシュッ、コロリ死ぬ」と、ユーモアまじりに仕立てているが、歌のこころは暗い。たぶん〈わたし〉が期待していた殺傷力は、こうだ。シュッと虫にかける。虫はひっくり返って足をばたばたさせる。従来の殺虫剤では、ここで敵が立ちなおって逃げだすこともあるが、今回はしばらくばたついた後、その場で死ぬだろう――。だが、予想に反し虫はほぼ即死した。ばたばたの「ば」をやりかけた瞬間くらいに。

 

いったい何がお望みでしょうか、とメーカーの開発者はいいたくなるだろう。死ななければ死なないで文句をいわれ、死ねば死んだで文句をいわれ。開発者の言い分もわかるし、〈わたし〉の言い分もわかる、というのが読み手の言い分だ。

 

自分がこの殺虫剤を撒いたら、と考えてみる。たぶん私も虫の即死にぎょっとするだろう。そして、強盗に入られたときの武器になる、と思うだろう。台所の包丁を強盗相手にふりまわす自信はないが、殺虫剤なら扱えそうだ。それからまた思うだろう。虫の即死にぎょっとするのは、自分が恵まれた環境にいるからかもしれないと。相手を殺すか自分が死ぬか、という生物界本来の環境で生きていたとしたら、むしろ安堵の胸をなでおろすのでないか。そう考えると、桑原作品は、殺虫剤の威力に暗澹とできるほど平和な社会を描いた歌、とも思えてくるのである。

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