その位置に窓とめておく金属の穴と突起があつて、夕暮

魚村晋太郎『花柄』(2007年)

 

膝のうえの文庫本から目をあげると、もう日が暮れかけている。荷物を置いたらホテルのまわりを散歩するつもりだったのに、切りのいいところまであと少しと思って開いたミステリーについ読みふけってしまった。着いたときはあれほど夏雲がまぶしかった窓のむこうは、すっかり蒼ざめて夕闇の底だ。風はない。カーテンはうごかない。ガラスのよく磨かれた四角い窓が、半分開かれたまましずかに夜をむかえている。窓。ネジとネジ穴とによって、そこに固定された窓―――というような場面が浮かぶ。

 

〈その位置に/窓とめておく/金属の/穴と突起が/あつて、夕暮〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。初句から順当にことばがつながる。結句後半、取ってつけたように置かれた「夕暮」と、それを強調する直前の読点に、「いかにも短歌っぽく仕上げてみました」という作者の声を聞く。結句における、こうしたことばのさばき方は、岡井隆〈擂り粉木が蒼くよごれて横たはる厨をいでてくれば夕ぐれ〉(『親和力』*「擂」に「す」、「粉木」に「こぎ」のルビ)などにも見られる、一つの型である。

 

一首の主題は、穴と突起だ。この歌では窓をとめる金属が描かれるが、穴と突起のあるものなら、他の素材を出してもよかった。鍵と鍵穴、傘と傘袋、便箋と封筒、万年筆とキャップ、壜の口と蓋、浴槽の穴と栓、プラグとコンセント、車と車庫……。少し考えるだけで、身のまわりにある「穴と突起」が、いくつも出てくる。頭と帽子、耳と耳かき、手と手袋、足とスリッパ……。ともあれ、穴と突起の代表として「窓とめておく金属」がベストの選択だと作者は判断した。

 

いうまでもなく、穴と突起は男女性器の暗喩である。すなわち一首は、「夕暮」などを持ちだしてことさら短歌くさく仕立てたシモネタの歌とも読めるし、イザナキ・イザナミの故事を踏まえて世界の根源に迫った歌とも読める。古事記によれば、国作りのはじめに、この男女神はつぎのようなことばを交わす。

 

妹伊耶耶美命「吾が身は成り成りて、成り合はぬ処一処在り」

伊耶耶岐命 「我が身は成り成りて、成り余れる処一処在り。故此の吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に刺し塞ぎて、国土生み成さむとおもふはいかに」

 

そして二人は交合し、小さな島をつぎつぎ生んだ。聖書では、ことばが世界の始まりだが、古事記では、穴と突起が世界の始まりなのである。いや、始まりの時期だけではなく、二十一世紀のいまも、世界は穴と突起なしにはやっていけないのではないか。この二つは、世の中を支える土台みたいなものなんじゃないか。そうでなかったら、なぜそこらじゅうこんなに穴と突起だらけなのか、説明がつかない。魚村の歌にいざなわれ、想像はやがて確信となってゆく。日々こつこつと世界を回転させているのは、地にみちる穴と突起の力にちがいないのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です