吉野 裕之


指先の重たさはみづに沈むやう ゆらめきて髪の中に紛れた

尾崎まゆみ『時の孔雀』(2008年)

 

雲雀料理の後(あと)にはどうぞ空の青映しだしたる水を一杯

コカコーラ壜のへこみに匂ひたつのすたるじあ飲み干してごらん

同一のマニュアルを手に化粧(けは)ふ顔春一過性百合科植物

 

とてもおしゃれだ。尾崎まゆみの最初の歌集『微熱海域』(1993年)は、こんな作品を収めている。『時の孔雀』はそれから15年後に刊行された4冊目の歌集。『微熱海域』のときは30代だった尾崎も、50代に入った。当然、作品は豊かな厚みを加えている。

 

ひざかりに声を殺して鳴きとほす真紅芙蓉の一輪を抱く

陽炎のかがよふ昼の空間に消ゆのびあがる人の背中は

雲の切れ目を裂く七月の母の指 東京に青空を創れり

地はうめきたいのだらうか真夜中になゐ来たりまた嗚呼といふ声

くやしいほど匂ひが痛い乳白に息むせかへるやうな曇り日

ほらあれが双子座の星 指を差す人の人差し指の感触

地下二階コーヒーショップ階段にみづの匂ひのひえびえとある

 

厚みとは、自らの身体を信じながら、空間の再構築を図ろうとする意志のことだろう。私たちは、視覚や聴覚によって、「いま・ここ」にある空間を受け止め、その秩序を理解しようとする。むろん、それは大切なこと。しかし尾崎は、その再構築を試みる。尾崎のことばを通して、空間は新たな価値を纏っていく。

 

指先の重たさはみづに沈むやう ゆらめきて髪の中に紛れた

 

5・8・5・8・7というゆったりとした音数。「指先の重たさはみづに沈むやう」。詠まれているのは、指先が重いという「こと」ではなく、指先の重たさという「もの」。その重たさは「みづに沈むやう」なのだという。ことではなくものとして捉える構えのありようが、心地いい。ところで、この指先の重たさは誰のものなのか。「ゆらめきて髪の中に紛れた」。指先の重たさは、「ゆらめきて髪の中に紛れた」という。では、誰の髪の中に紛れたのか。

ここに詠まれているのは様態のみ。いるはずの人は、描かれていない。そう、大切なのは様態なのだ。むろん属性も大切ではある。しかし、空間を様態の集合体として記述したとき、空間は別の表情を見せてくれるのだ。