都築 直子


4Bの鉛筆をもてはじめての円形脱毛塗りつぶすなり

小島ゆかり『純白光』(2013年)

 

短歌やエッセイなど、ことばで〈わたし〉を語る分野の鉄則その1は、自慢話をしないことだ。これこれを褒められた、上手くいった、こんな有名人と知り合いだ、等々。人の自慢話に興味ある読者はいない。いかに自分がドジでダメな人間か、格好悪さを語ること。うたい上げるな。うたい下げよ。

 

〈4Bの/鉛筆をもて/はじめての/円形脱毛/塗りつぶすなり〉と5・7・5・8・7音に切って、一首三十二音。鉄則どまんなか、直球勝負の歌だ。初めて円形脱毛症になった衝撃を、このようにいってみた。4Bの鉛筆で十円ハゲを塗りつぶすというのは、「そうできたらなあ」という願望の表現と読む。そんなバカなことをしたくなるほどのショック、世界の終わりかと思うほどのショックなのだ、という心だろう。実際に塗った、という読みもできるが、さしあたり比喩的な表現と取っておきたい。「あはれ」「憂鬱」などと感情をスレートに表現せず、ユーモアにくるんで差し出した。ユーモアの導入は、うたい下げるときの鉄則その2である。

 

鉄則その1と2は、いいかえればこうだ。〈わたし〉を美人美男にしてはいけないが、かといって露悪的なことばで読者をつらくしてはいけない。
とはいえ、しょぼくれた自画像の提示は、露悪趣味と紙一重だから油断できない。このあたりのバランスは、作者の技量が試されるところだ。

 

近代短歌からこちら、〈わたし〉のうたい下げ短歌、とりわけ身体的弱点を素材にした歌は、男性作者の専売特許だった。斎藤茂吉〈あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり〉(『小園』)を始めとする、しょぼくれ自画像短歌の系譜がある。一方、女性作者には、どういうわけかこの素材に取り組む人があまりいなかった。それが、ここへきてようやく、青木昭子〈減量を五キロと決める、だがしかし五キロを被ふ皮膚はどうなる〉(『さくらむすび』)などユーモアのあるしょぼくれ自画像を描く人が出てきた。浦河奈々〈脳天の白髪のあたり見られつつ宅急便にシャチハタを捺す〉(『マトリョーシカ』*「白髪」に「しらが」のルビ)も、堂々たるものだ。

 

脳天に白髪があるとか、円形脱毛症になったとか、いわなければ誰にもわからないことを、ことさら歌にして発表するのは、転んでもタダでは起きない歌人魂のなせる業である。冒頭の一首は、作者が2012年の一年間にふらんす堂のホームページで、日付と共に毎日掲載した短歌のうちの、10月1日付のものだ。思いきった素材だなあと感心していたら、「短歌研究」の最新号には、続編が発表されていた。

 

円形脱毛うまく隠して七月の風よくかよふホームに立てり         「短歌研究」2013年9月号

九か月癒ゆるなければ円形脱毛あるがふつうのわたしとなりぬ

 

小島ゆかりの歌人魂は、濃度をふかめつつあるようだ。