ながき夜の ねむりの後も、 なほ夜なる 月おし照れり。 河原菅原

釈迢空『海やまのあひだ』(1925年)

 

こういうことはないだろうか。苦手だった歌人が、あるとき何かの拍子で読めるようになることが。私にとって、釈迢空はそんな作者の一人だ。ある日、近代短歌のアンソロジーをながめていると、それまではどんなに気を入れて読みだしてもすぐにまぶたが重くなっていた迢空のページの、ある一首がすとんと心に落ちた。冒頭に掲げた一首だ。迢空の歌に感応できる自分に驚きつつ、次の歌を読むとまたすっと心に入ってくる。その次の歌も、その次の歌も。迢空が読めるようになった! そう思った。この喜びは、自転車が乗れるようになった時と似ている。いったんコツを掴めば、後はどこまで行くのも自分次第。

 

釈迢空は、1887年2月21日に生まれ、1953年の今日9月3日に66歳で死去した。迢空に先立つ半年前の2月25日には、斎藤茂吉が死去しており、1953年は二大歌人喪失の年として記憶される。

 

〈ながき夜の/ ねむりの後も、/なほ夜なる/ 月おし照れり。/河原菅原〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。ずいぶん眠ったと思って〈わたし〉が目をさますと、まだ夜である。場面は室内と読む。四句「月おし照れり」は、窓の外を見ると月がこうこうと照っている、と取れるが、結句「河原菅原」からは、〈わたし〉が寝床から河原へ瞬間移動して月光の下に佇んでいるような印象を受ける。

 

一首を貫くのは、眠れない夜の〈わたし〉の苦しさだ。「ながき夜」「ねむりの後」の平仮名表記に生々しさがある。「長き夜」は怖くないが、「ながき夜」は、見つめているとひた、ひた、と正体不明のものが近づいてくる気配を感じる。三句「なほ夜なる」には、病気中の経験を思いだす。やっと朝か、寝苦しさからの解放かと思って目覚めたら、まだ夜中だったので暗澹としたことがある。健康なときは、そういう目に合わない。四句「月おし照れり」に、のしかかる月光の重さを思う。初句から読み進むにつれ、気分はどんどん沈んでゆき、結句「カワラスガワラ」の呪文めいたひびきで止めを刺される。いいなあ、迢空って、この暗さ。

 

この歌を読んだとき、それはある夏の夜だったのだが、私はタイの安宿にいた。まわりには日本人がいない。日本語が流れてこない。そういう、日本語から隔離された環境で読むと、まっすぐに歌のことばが入ってくるのだった。自分の読解能力が上がったわけでも、ことさら集中しているわけでもないのに、迢空のことばをまざまざと感受することができる。もしもタイの安宿で読まなかったら、私は迢空を読めるようにならなかっただろう。

 

日本国外に出かけて、似たような読書体験をする人は多いのではないか。日本語から隔離された環境に身を置く効用。とはいえ、少なくとも私の場合、どの苦手歌人にもこの環境が効くわけではないようだ。いまのところ、日本語から遠く離れた場所で読みのコツを掴めた歌人は、釈迢空一名にとどまる。

 

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