吉野 裕之


わたくしの名刺どこかでシュレッダーにかけられて居ん頭が痛い

松村由利子『鳥女』(2005年)

 

どこまでも泳いでゆける確信に少し速度を上げるクロール

地下道にウミウシとなるごんごんと行き交う人に鞄当てられ

ひんやりと冷たい人を抱くように白きシーツを取り込む夕べ

うす日差す水沼(みぬま)に憩うどの鳥も神を見るごと風上を向く

鳥よりも魚が好きなりああ鳥は体温高くびくびくとせり

やさしきは地上最後の恐竜が凍えつつ見た雪片の白

あまり強く抱きしめぬことずぶ濡れの猫も子供も不機嫌だから

 

日常に素材を取りながらも、ある種の抽象性を得た作品。あるいは、松村由利子の感性がうまく短歌形式に乗っているということかもしれない。読者としても、心地よくそれを楽しむことができる。

日常の、なんでもないような、忘れていることもあるけれど、しかしけっしてなくなってはくれない苦しさ。詠まれているのは、私たちが抱えるこうしたもの/こと。その苦しさがとてもリアルだ。つまり、一冊から作者像がくっきりと立ち上がってくるということ。

 

わたくしの名刺どこかでシュレッダーにかけられて居ん頭が痛い

 

「わたくしの名刺どこかでシュレッダーにかけられて居ん」。私も不要になった名刺はシュレッダーにかける。なんだか本人をシュレッダーにかけているような気分にもなるのだが。

「頭が痛い」。そうか、やはり半分くらいは、本人をシュレッダーにかけてしまっているのだ。申し訳ないと思う。かといって、そのまま屑籠にポイというも、なんとなくなあ…。

名刺は、ビジネスの現場では必需品だ。初対面であれば、話をする前に、まず名刺交換。名刺がいろいろなもの/ことを繋いでくれる。そう、いろいろなもの/ことを。しかし、初対面で終わってしまって、二度目がないということはままあるし、もういいかなあということもよくある。そうなるとシュレッダーの出番だ。

シュレッダーは、名刺を切断破砕するだけではない。つまり、関係が切断破砕されるのだ。関係の網の目に囚われるのは鬱陶しいが、そこから捨てられるのも鬱陶しい。なかなか難しい。

「夏空を鋭く裂きて飛ぶ鳥の乳房持たねば迷いはあらじ」。一冊の最後に置かれた一首。乳房もまた、関係の網の目をつくっていく記号なのだと思う。