都築 直子


くす玉から平和のハトが弧をえがくドームの骨の上の青空

斉藤斎藤「GANYMEDE」58号(2013年)

 

歌は、「小歌集一〇〇首詠み下ろし」と銘打たれた、「広島復興大博覧会展」一連の中に置かれる。一連は、社会的メッセージの強い作品で、原爆投下と福島の原発事故を体験した日本に、現状のまま進んでいいのかを問いかける、極めてまっとうなものだ。ここではメッセージの内容には立ち入らず、短歌連作の組み立て方について考えたい。

 

斉藤斎藤は、誰もやったことのない連作手法を、果敢に試みつづけている作者だ。この百首では、すでに多くの連作で試みている、コラージュ短歌とでも呼ぶべき手法に加え、「短歌研究」2012年11月号の「予言、〈私〉」十首で試みた手法を、大胆に押しすすめている。冒頭に掲げた一首は、その手法の一例だ。

 

まずコラージュ的手法だが、これは、過去から現在までのあらゆる文字情報(新聞・雑誌・書籍・インターネット・テレビ・映画・街の看板等々)を切り取り、詞書や短歌本体に、そのまま一字も手を加えずに使うか、または手を加えて使うものだ。斉藤の最近作に、「未来へのキオク」十三首(「短歌往来」2013年6月号)がある。「広島復興大博覧会展」も、全首が長短の詞書を持つコラージュ仕立てとなっており、引用元は、一連の末尾に〈引用・参考文献 「一」は一首目の歌、「1」は一首目の詞書を指す。)〉として三ページほど記される。ただし、本体の百首には通し番号が振られておらず、読者は自分で振ることになる。その後は、一首ごとに巻末注と首っぴきだ。作るのはさぞ骨が折れただろうが、読むのもなかなか骨が折れる仕上がりとなっている。

 

たとえば、連作の一首目は、詞書が〈私はそれから十年間、家で病みました。〉、短歌が〈十年たって比治山の上から見た街は、見知らぬ白い美しい街〉であり、末尾の注には、〈1~2 米山リサ『広島 記憶のポリティクス』〉とある。短歌が、引用元のことばそのままか、作者の手が入っているのかは、読者には判断できない。またこの歌は、一字一句違わぬものが、詞書〈それとも当時のわたしたちは、夢を見てはいけなかったのだろうか。〉を伴い、九十九首目にも置かれている。こちらの詞書には末尾の注がないので、たぶん作者のオリジナルだろう。このように、一連では、複数の歌が二度登場する。いかに手の込んだ構成になっているか、想像していただけるだろうか。

 

さて本題は、ここからだ。「短歌研究」掲載の「予言、〈私〉」において、作者は十首中の一首に〈才能を疑いて去りし学なりき今日新しき心に聴く原子核論〉を置いた。岡井隆の代表歌だ。しかし注釈はない。他人の作品を、自作として発表するのは、私の知る範囲では初めてのケースだ。岡井の歌を斉藤の新作だと思いこむ読者もいるだろうが、そういう初心者は門前払い、という姿勢である。読者限定の十首と割り切る。そして、作者名を「斉藤斎藤」というように棒線で消した表記にする。タイトルや十首の意味内容も含め、この批評性に満ちた仕掛けをどう読みとくか、読者を挑発するのである。

 

「広島復興大博覧会展」において、作者は一歩踏み込み、二十首近い「他人の作品」を、「一〇〇首詠み下ろし」の中に置く。作者名の斉藤斎藤は棒線で消さず、歌の引用先を末尾の注に〈七六 小畑勇吉作品、「心の花」五八年三月号〉〈八〇 中島祿子作品、「まひる野」五六年三月号〉のように記す。歌はそれぞれ〈原子爐によき火は燈火とともるとふ我等の家もやがて明るからむ〉〈毒薬も使いやうなり原子力伸びよ栄えよ平和のために〉という作だ。冒頭に掲げた一首は、引用歌の一つである。末尾の注には〈三 谷村はるか『ドームの骨の隙間の空に』〉とあり、この作が2009年刊行の谷村歌集に拠ることを示す。谷村のこの歌は、一連の三首目と八五首目に、それぞれ別の詞書と共に置かれている。

 

短歌作品の引用は、これまで詞書の形でなされてきた。谷村作を例にとれば〈くす玉から平和のハトが弧をえがくドームの骨の上の青空 谷村はるか〉を詞書にして、横に作者の自作短歌を置くスタイルだ。しかし斉藤はそのやり方を取らない。他人の作品を、詞書ではなく「詠み下ろし」の自作として差しだすのだ。さあ、このスタイルはどうですか、と読み手に問いかける。さあ、どうだろう。賛否両論、いろいろな意見が出るはずだ。

 

私にいわせれば、短歌として作られたものを、短歌として差しだすのは、芸がない。散文や詩の一節を、そのままあるいは手を加えて短歌として差し出すことには、五七五七七として捉えなおす、という批評精神がある。だが、もともと五七五七七として作られたものを、五七五七七として差し出すことのどこに批評があるのか。読者として、どこを味わえばいいのか。この方式をよしとするなら、アンソロジーの編者はみな作者ということになってしまう。たとえば、いま机の上にある「NHK短歌」2013年8月号記載の、尾崎まゆみ編〈現代詞華集「手」二十八首〉は、「手」というタイトルを持つ、尾崎まゆみの詠み下ろし二十八首ともいえることになる。それって、ありだろうか。

 

斉藤は「広島復興大博覧会展」を、「小説」または「詩」と銘打ったらいいのではないか。私はそう思う。五七五七七として書かれた作物を、散文や詩として、定型の枠を取りはらって読む。そういう試みならば、おもしろそうだ。

 

ここまで書いて、谷村の歌は、『ドームの骨の隙間の空に』のどの章にあったかと手元の歌集を開いて、首をひねった。どこにも出ていないのだ。そんなはずはないと、いま三度見直したが、冒頭に掲げた一首は歌集の中にない。これはどういうことだろう。もしも、注にある二重カッコ『 』が一重カッコ「 」の誤植ならば、「ドームの骨の隙間の空に」は谷村の2006年短歌研究新人賞候補作を指すことになる。この題名を持つ谷村の三十首は、候補作となったのだ。しかし、受賞作発表号の「短歌研究」2006年9月号を開いてみれば、候補作として掲載された二十二首の中にもこの歌はない。

 

冒頭の一首は、谷村はるかの歌なのか、そうでないのか。また、他の作者の引用歌はどうなのか。斉藤によるせっかくの問題提起だが、根底の部分に謎が出てしまっては、先に進めない。残念ながら、考察はここまでとする。