───、そして気がつけば君は子犬を抱き上げている

森本 平『空を忘れず』(1989年)

 

手を伸ばせども指の透き間をすり抜けるあの夏色の空を忘れず

 

巻末に置かれた一首。らしい一首だと思う。

『空を忘れず』が上梓されたとき、1964年生まれの森本平はまだ20代半ばだった。しかし、一冊の著者略歴によれば「醍醐」入社が1978年だから、すでに10年のキャリアをもっていた。「1978-1964=14」。そして、この引き算の答えに、当時の私はただただ驚いた。

 

重き空両肩の上に受けとめてうつむき加減で歩く木曜

ストーブの燃える一人の食卓に茶色き程のカレーの匂い

 

久しぶりにこの一冊を開くと、感想を記した森本宛ての手紙の下書きが挟まっていた。日付は「平成元年十月十四日」。たとえば最初のページに置かれているこれら2首を引いて、「一首めの「木曜」の収め方、そして、二首めのリアリティー」なんてフレーズがあって、24年経っても変わっていないことに少しショックを受けながら、しかしなんだかうれしい気持ちにもなったりしている。

 

───、そして気がつけば君は子犬を抱き上げている

 

一連「空を集めて」14首に置かれた一首であり、一連には「行くたびに君の近くに泳ぎよる羽根が傷つき飛べないスワン」「ともかくも君とふたりでいましばしながめる映画でまた人が死ぬ」「君がいる少し離れてぼくがいる ただそれだけの夕陽の歩道」といった作品が収められている。

いわゆる定型を基準に考えると、「(5・4)3・5・7・7」となり、(5・4)の部分が3文字分の罫線と読点ということになる。31音の3割ほどが欠落していることになるが、欠落感はほとんどない。「───、」の視覚的効果、「3・5・7・7」という音数の組み立てや意味の組み立てのありようなどが、一首に十分なボリュームを与えている。

「そして気がつけば」。ここには、ゆったりとした時間がある。ゆったりとした時間は、「君」をゆったりと受け止める意志だろう。「子犬を抱き上げている」。「子犬」は、「君」でも〈私〉でもない。その「子犬」を抱き上げている「君」を見ている〈私〉。自然体の〈私〉の視線が穏やかだ。

 

ひとの手にいだかれている心地してそっと指先触れるマフラー

夜深きを目覚むれば戸にふるる音世間はきっと雨なのだろう

本棚の奥にまぎれし少年期 泣くことはない 泣いてはいない

ひからびしサンドイッチをかじる朝 口内炎に突き刺さるパン

それもまた痛みのひとつパンプスの靴音低き非常階段

ポケットにおさめたる掌(て)のあたたかさ身にさやさやとやさしきは秋

やさしくもなければ二度とたたずまぬピアノも弾かぬ手紙も書かぬ

 

森本はやさしい。あるいは、甘いのかもしれない。日常は、ひからびたサンドイッチをかじって、パンが口内炎に突き刺さったりする。しかし、やさしさや甘さは大切なのだ。

JR東海のCM「X’mas EXPRESS」の第1作が制作されたのは、確か1989年ではなかっただろうか。彼女役は、牧瀬里穂。クリスマス・イヴに帰ってくる彼の到着時間に遅れないように構内を走るというストーリー。改札口に向かってくる彼を見つけ、柱の陰に隠れてさっき落してしまった帽子を被り直して、息をはずませながら、でも目をつむって、プレゼントを抱いて彼を待つ彼女が、とてもチャーミングだった。

やさしさや甘さ。それは信じることなのだと思う。

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