恋人をそれぞれの胸が秘めている不思議さ行き交う人のシャツ見る

安藤美保『水の粒子』(1994年)

胸中、といったり、胸奥、といったりする。或いは、胸のうち、とも。
好きなひとのことを思ったり、緊張したりすると胸の鼓動がはやくなる。
そうした生理的な感覚が、胸はこころの在り処と思わせる所以だろう。
胸はまた、他者をうけいれる場所でもある。
女性のやわらかな胸には、とくにそういう印象がある。
そして、その胸にふれられるのは、ゆるされた特別なひとだけだ。

一首には、時間帯は詠みこまれていないが、朝の風景だと思う。
いますれちがったひとは、ついさっきまで恋人とあまい一夜を過ごしていたのかも知れない。
前をゆくひとには、今夜恋人と逢う約束があるのかも知れない。
それぞれがシャツの下の胸に、恋人の存在をひそかに抱きながら、すずしい顔をして歩いている不思議さ。そしてシャツ一枚におおわれたまぶしい胸の無防備な感じ。
すれちがうひとりひとりの胸にひめられた恋人の存在を感じてしまうのは、ほかでもない。主人公自身が、大切な恋人のことを胸に思いながら、朝の道を歩いているからだ。

ひとの胸のなかには、誰にもはいれないしずかな場所がある。
ひとはときとしてそこに大切なひとの存在をすまわせることがあるが、恋人だって、外からそこに押しかけることはできない。
胸のおくにあるそんな場所を、ある歌人の言葉を借りて「空の畑」と呼んでみてもいい。
そこは詩歌の育つ場所でもある。

作者は気鋭の新人として注目され、また中世文学の研究をこころざし、藤原良経に関する修士論文にとりくんでいた。
大学院の研修旅行で比良山を登山中に、転落事故で亡くなった。
24歳の夏休みの終りのことだった。歌集は遺歌集である。
周囲のひとたちのかなしみははかりしれないが、作者が胸のおくの空の畑で育てた言葉に、読者はいまもふれることができる。

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