江戸 雪


木の匂いする言葉かな今君がわが耳近くささやきたるは

三井修『砂幸彦』(2008年)

「木の匂いする言葉」や「わが耳近くささやきたる」などから、「君」はその肉体がすきとおっているような不思議な存在感がある。
こういう感覚的な表現は、甘ったるいワインのようでだめだ、などと評されたりもする。
けれど、イマジネイションのちからを駆使させて読むたのしさを味わうのもいい。

「木の匂いする言葉かな」と表現される言葉とはどんなふうなものなのだろう。
まぶしい初秋の朝、とぎれぬ葉擦れの音のなか聞いた言葉だったのだろうか。
それとも、ひんやりした夜風にふかれて街路樹のしたを歩きながら語りあっているのか。
おそらく読者ひとりひとりの想像する言葉は、けっして同じではないだろう。

それに具体的にどんな言葉であったのかはあきらかにする必要はない。発する言葉が「木の匂いする」、そんな「君」なのだ、とイメイジすればいい。

くちびるに水のことばはあふれつつ吟遊なべて喝食の秋  山中智恵子

歌人にとって、言葉は意志伝達の道具ではない。
とりわけ、こいびとの発する言葉は、木であり水であり空なのだ。