都築 直子


満月はかさぶたみたいな色をして(あれが地球の影なんだね)

浅川洋『空洞ノ洞DOU』(2013年)

 

前回11月5日の本欄につづき、合体してひとつの歌集となる次の二冊を見ていきたい。
黒沢 忍歌集『空洞ノ空KUU』
浅川 洋歌集『空洞ノ洞DOU』

 

まず、黒沢歌集の地(表紙の下端)に浅川歌集の天(表紙の上端)をぴたりとつけて机の上に置く。前回は、二冊同時に表紙をめくったところを見た。今回は、その次のページをめくってみよう。すると右のページの中央に、一行の文が縦にすっくと立っている。このような文だ。

 

風卵、Kaze no tamago ヒュペネミア、無精卵、西風によって生まれた卵、雌鳥どうしが興奮して砂のなかをころげまわって・・・・孵らないちいさな卵が・・・・生まれた・・・

 

一行のなかほど、「興奮して」の「興」の字が、中央で上下に切断されている。一行の上半分は黒沢歌集の中、下半分は浅川歌集の中だ。じつは二冊の表紙の左上には、それぞれ「風卵 8 kaze no tamago」という文字が小さく記されており、一行の内容はそことひびきあう。

 

左のページは、目次だ。二冊の合わせ目を直径とする卵形の円が、黒地に白くぼわっと浮かんでいる。『空洞ノ空KUU』の目次には「鳥 丸石 痕 鳥葬 路上 おとしぶみ 音叉」といった章題が、『空洞ノ洞DOU』には「地下茎 盆地 つぶて 骨材 冬の図形 みずうみ 祠 上海」といった章題が並ぶ。

 

〈満月は/かさぶたみたいな/色をして/(あれが地球の/影なんだね)〉と5・8・5・7・6音に切って、一首三十一音。「冬の図形」という章に置かれる。「かさぶたみたいな色」がいい。

 

皆既月食の歌だ。地球の影が少しずつ満月にかぶさってゆき、最後にくまなくおおう。すると、月の色が変わる。赤いような、黒いような色になる。それを「かさぶたみたいな色」といった。的確にして肉感的な把握だ。呻吟の結果か、直感の賜物か、このことばを得るまでの創作の舞台裏は知るよしもないが、いずれにせよ詩人の口からすらりと出てきたように、そこに置かれている。「かさぶたみたいな色」といわれると、まるで月が血の通った生きもののように感じられてくる。

 

下句は、上句を補佐するだろう。月の色をいっただけでは、場面が確定できない。「(あれが地球の影なんだね)」までいって初めて、皆既月食だと読者にわかる。「 」でなく( )が使われているのは、二人もしくは数人でささやきあっているからか。あるいは、黙ったまま心のなかで思いあっている。一人で自問自答しているとも読める。三句の後を一字空けにして括弧類を使わない方法もあるが、ここではかさぶた色の皆既月食と、( )が釣り合っている。

 

巻末の「略歴」を見ると、作者は絵をかく人であるらしい。浅川歌集の「あとがき」に、黒沢はこう書く。〈今回の『空洞』は二人でだしている「風卵 Kaze no tamago」の8号である。いつもは絵と短歌のコラボなのだが、8号はそれぞれの歌群とした〉。いい添えれば、黒川歌集の「あとがき」は浅川が書いている。同一の叢書番号が示すように、二冊は外見的には二つに分かれているが、内面的には一つなのである。

 

ともあれ、浅川洋は、画家の目を持つ作者というより、もともと詩心を持ちあわせている作者のようだ。平明なことばで読み手を立ちどまらせる歌がいくつもある。

 

「約束をまた破ったな」「六千年たったのですから許してください」

上顎と下顎を噛み鳴らしその音を聞くわたしは髑髏

爪でつけたにちがいない。縄文の土くれにある三日月模様

腹筋と甲府盆地をかたむけて春の峠のカーブをくだる