都築 直子


マシーンの赤きが光引きてゆく地上を愛すこの一瞬を

藤井常世『鳥打帽子』(2013年)

 

藤井常世は、1940年12月3日に生まれ、去る10月30日に72歳で死去した。11月4日の本欄では、吉野裕之が歌集『文月』の作品を紹介している。昨年から今年にかけて、作者は『藤井常世歌集』(現代短歌文庫)と『鳥打帽子』を出し、総合誌「短歌」には「五感で読む万葉集」を連載中だった。訃報におどろく。

 

〈マシーンの/赤きが光/引きてゆく/地上を愛す/この一瞬を〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。自動車レースの最高峰とされるフォーミュラ・ワン、いわゆるF1を素材にした「最強のもの」七首中の歌だ。マシーンすなわちフォーミュラカーの赤いものが光を引いて走ってゆく地上がある。その地上を〈わたし〉は愛する。車が走りぬけるこの一瞬を愛する。そのように歌はいう。提示される景、心のありよう、ともに爽快な歌だ。一連には、「ミハエル・シューマッハ」の詞書を持つ〈かの日セナを追ひつめし青年がさはやかに立つ最強のものとして〉などがあり、F1賛歌として印象に残る章である。

 

マシーンが走りぬける地上を「愛す」る〈わたし〉は、歌集のそこここで好き嫌いをストレートに表明する。

アトムより〈ひょうたんつぎ〉が好きなりし日よりいくらもかはらぬ心

ていねいに生きしが徒の日のゆふべ、やけのやんぱちといふ言葉たのしむ
*「徒」に「あだ」のルビ

這ふものは飛べ飛ぶものはとほく行け 私はほんとは蝶々が嫌ひ

踊りのやうなしなありとわが歌を評せし人をいまだも蔑す

 

F1が走る地上や、ひょうたんつぎや、やけのやんぱちという言葉が好き。蝶々や、私の歌を踊りのようなしながあると評した人が嫌い。誇り高い〈わたし〉だ。さばさばとした物言いが楽しい。

 

さて、『藤井常世歌集』の「解説」には、六篇の藤井論が、結社誌「人」「笛」から再録されている。注目すべきは、第一歌集『紫苑幻野』について、詩人の清水昶(1940-2011)が「人」(1976年7月)へ寄稿した一文だ。

 

〈かなしみの果てに逢うべし北の海意外に明るき灰色をして〉(*表記は『藤井常世歌集』記載のまま)を引いて、清水はこう書く。〈美しい歌ではあるが、このほど良い調和にわたしは躓く。「かなしみ」「北の海」「明るき灰色」とすべてのイメージが抽象の高みへとおしあげられていて、まるで一枚の完璧な水彩画である。本来わたしたちの感情はこのように整理された孤独感を持っているのだろうかという疑問がわく〉。

 

次に、〈緋衿の襞ひとつひとつ翳りなしやすやすとをとめ蛇体となれり〉を引いて、清水はこう書く。〈この一首にしても作者の内面のいいよどみがみえてこないため、あるいは歌そのもののながれが、あまりにも素直でありすぎるため緊張感を欠いているうらみがある〉。

 

さらに、〈春の埃身にあびて立つ街の角かけぬけゆきし青春も見ゆ〉を引いて、こう書く。〈わたしの卑小な詩にかぎらず小説にしろ映画にしろ過ぎ去った青春をふりかえるときに湧き起こる大テーマとして、さまざまなかたちで固有に抽象されてきた。だからこそ藤井氏が短歌の中に生きようとしたならば、そのように歌ってはならなかったのだ。孤独もまた通俗化される。ついに短歌でしかいいえぬ、ぎりぎりの表現にこそ、わたしたちは、それぞれが固有に強いられている孤独なたましいの歌を聞きたいのである〉。

 

四ページに渡る文章の中で、清水は親身かつ率直に、歌集を全否定する。引用は上の三首のみだ。「ただし、こういう歌はいい」というリップサービス的な引用はしない。リップサービスは、1月8日の本欄で紹介した〈本当のことを伝へて憎まれてあげるくらゐの愛はなくつて〉(枡野浩一)という場合に行われる。作者への愛がある清水は、「本当のことを伝」えてゆるぎない。その論はまっとうであり、説得力をもつ。「一首鑑賞」の書き手として、襟を正す思いだ。

 

このような評者にめぐり会い得たのは、表現者としての幸福だった。それを誰より認識する藤井常世だからこそ、歌集に再録したのである。以後の作品は、第一歌集の頃とは違う、という自負もこめられているだろう。第九歌集にあたる『鳥打帽子』まで、この人は「一枚の完璧な水彩画」から遠く離れるべく歩いてきたのかもしれない。R.I.P.