吉野 裕之


しんじつを知りてしまいし人の名のまたひとつ神の指にて消さる

山田消児『アンドロイドK』(1999年)

 

『アンドロイドK』は、1992年から1998年に制作された作品から成る山田消児の2冊目の歌集。「アンドロイドK」をはじめ、「さよなら天使」「始めの海へ」「おかえり、子どもたち」などの16章を収め、これらとは別に、巻頭には1首+2首が、巻末には2首+1首が置かれ、構成のくっきりとした一冊である。

 

ピノキオは家族団欒に加われないとびだす絵本にとじ込められて

世界へとひらくことなどもう忘れた耳になら聞こえないか タスケテ

恥ずかしがらず真直ぐに見てやらなくちゃ あんなに僕らとちがうのだから

銃声に慄(おのの)き位置についたままの子はさらわれる風のすだまに

障子越しに午後の光のしみ入りてはつか遺影の傾ぐときのま

斎場建設反対の貼紙日々に殖えある朝雪は降り始めたり

言葉より先に思いを伝えくるその肉声に耳を塞いだ

 

私たちは、日常を生きている。しかしおそらく、以前より日常は小さくなっている。各分野の技術の凄まじい勢いの発展により、私たちの社会はどんどん利便性を増加させている。と同時に、私たちの身体は、どんどん脆弱化している。むろん、病気をしやすい、怪我をしやすいといった意味ではない。

 

しんじつを知りてしまいし人の名のまたひとつ神の指にて消さる

 

「しんじつ」。それは、「真実」でなくて「しんじつ」。意味ではなくて音。誰かが定められるものではなくて、ひとりひとりが自らの意志において定めるもの。

「神」。それは、既存の秩序や価値観のことだろう。絶対と信じられている「神」も、人の名を消すが、人を消すことはできない。それは、山田の信念だろう。

私たちの身体は、どんどん脆弱化している。だから、日常の襞に隠れているさまざまなもの/ことを感受できなくなっている。その意味で、日常は小さくなっている。

山田は、確かにことばにしていく。ことばによって「しんじつ」を探っていく。その方法は、虚構と呼ばれるのだろう。しかし、山田は知っている。そう、現実が虚構であるということを。