都築 直子


熱き息頬に触るるかと思ふまで近づかしめて射ちはなちたり

岡野弘彦『冬の家族』(1967年)

 

「たたかひを憶ふ」と題された章に置かれる歌だ。一読して、宮柊二の〈ひきよせて寄り添ふとごく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す〉(*「刺」に「さ」のルビ)『山西省』(1949年)を思い、岡野弘彦にもこういう歌があったのかと思う。

 

〈熱き息/頬に触るるかと/思ふまで/近づかしめて/射ちはなちたり〉と5・8・5・7・7音に切って、一首三十二音。戦場のシーンと読む。〈わたし〉は、敵の兵士の熱い息がこちらの頬に触れるかと思うほど、その兵を自分に近づかせて、ピストルを撃ちはなった、と歌はいう。結句の「射ちはなち」は、ルビがないのでそのまま読めば「イチハナチ」だが、さしあたりここでは「ウチハナチ」と読んでおく。

 

「熱き息頬に触るるかと思ふまで」と、官能の匂いたっぷりに詠いおこすところは、「ひきよせて寄り添ふごとく」と詠いおこす宮の一首を踏まえるだろう。「熱き息」をふつうの速度で「アツキーキ」と音読すると、「キーキ」の部分がまさに熱く、生々しく響く。歌は、四句「近づかしめて」で転調する。漢文訓読文によく出てくる助動詞「しむ」を使い、きりっと姿勢を改める。そして、ただちに「射ちはなちたり」と詠いおさめる。

 

どのような場面なのだろうか。登場人物は二人の兵。背後から敵に近づけば、相手の息を頬に受けることはないから、両者は向かい合っているはずだ。相手との距離はどのくらいか。一メートル離れていては、「熱き息頬に触るるか」とは思わないだろうから、三〇センチメートル以内と考えてみる。敵味方の兵が、それほどの至近距離で正対するのはどんな場合か。あるいは戦場経験者には、すぐにわかるのかもしれない。

 

歌集では、この歌の前後に場面推測の手がかりとなる歌はない。もしかしたら、場面は兵舎であり、捕虜にした兵を処刑のために近づけるのか。前線の場だったら、撃たれるために相手がわざわざ近づいて来てくれるとも思えない。それとも、こちらは徒手空拳と見せかけて、相手をおびきよせるのか。戦場未体験者の想像は、迷走する。

 

「たたかひを憶ふ」の章には、こういう歌もある。

兵として戦ひたりき憎みつつ人を殺しき我の二十に     *「二十」に「はたち」のルビ

一弾を撃ちまた引金をしぼりゆくかの緊迫を時に恋ほしむ

 

作者自身は、軍隊生活を送ったが戦地には赴いていない。さきごろ総合誌「歌壇」に一年あまり連載された、「岡野弘彦インタビュー」(聞き手 小島ゆかり)において、軍隊生活をめぐり岡野は「外地へ行った人たちのような過酷な体験はほとんどしなかったです」(「歌壇」2012年7月号)と語っている。上の作品は、個人的な体験に取材したものではないということだ。もっとも、作品上の実と虚のバランス、すなわち作品が作者の体験に基づくか否かは、元来読者が関知することではない。読み手は、歌の表現を歌の表現として享受すればいいのである。

 

とはいえ、岡野作品の〈わたし〉を作者に重ねて読む読者は少なくなかったようだ。『岡野弘彦歌集』(現代歌人文庫 国文社 1979年)に収録された『冬の家族』評において、遠藤貞巳は、「熱き息」や「兵として」などの歌を引き「一兵士としての戦線詠」とした上で、「こういう歌を歌わねばならなかった岡野の孤独と罪悪感は等しく読者の心をゆさぶりつづけるだろう」と書く。作品が実体験ではないことを知った評者が、それでは感動が半減だなどと(もしも泉下の人となっているなら泉下で)いいださないことを願う。

 

さて、『岡野弘彦歌集』には、詩人の飯島耕一(1930-2013)による解説「激しい抒情詩人」が収録されている。国学院大学で十七年間同僚だったという飯島の筆は、岡野の人物像と作品を生き生き描く。圧巻は、十二ページにおよぶ文章の末尾だ。『海のまほろば』(1978年)の一首〈この夕べ北に飛びゆく敵編隊おびただしきを見れば苦しゑ〉を引いて、飯島はこう書く。〈こんな歌がもっとも新しい『海のまほろば』にもあるのは一問題だろう。「苦しゑ」とここにあるのはもはや嘘である。誰も信じはしない。戦中は苦しかったという思い出に酔うべきではない。「苦しゑ」もくりかえされるとうとましくもなる。現在にもっと苦しんでいる人がいるはずである。もっとも若き日に戦争があったので、忘れることはできないのは当然である。しかし思い出ともっとたたかった、その結果の歌が見たい〉。

 

「本当のことを伝へて憎まれてあげるくらゐの愛」(枡野浩一)のある人が、ここにもいるのである。