吉野 裕之


まだ会社に慣れないせゐかオフィスでは鏡と犬が区別できない

荻原裕幸『世紀末くん!』(1994年)

 

ここにゐてかつ悠かなるものであるぼくをどうにかしてくれ虹よ

天王星に買つた避暑地のあさがほに夏が来たのを報せておかう

交番から駆け出して来たサボテンがぼくに挨拶してくれる日々

ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の

水仙と羊とジュークボックスに癒されてぼくがゐなくなる午後

名刺にはこんな不思議な肩書きがあるのにぼくは雲雀のままか

犬が薔薇として咲いてゐるぼくの眼にこの夕暮は永遠だらう

 

『世紀末くん!』は、荻原裕幸の4冊目の歌集。著者32歳の年に上梓された一冊。目次には、「ぼくが向日葵だつた頃」「豹の文法なんて知らない」「パイナップルの彼方へ」といった素敵なフレーズが並んでいる。

すでに20年近くの時間が経ったが、当時よりいまのほうがリアルな印象を受ける。私の個人的な感想かもしれないと思いながらも、同時に、社会を健全に成立させていた意味の網がすこしずつ解けてきているのだろうとも思う。

 

まだ会社に慣れないせゐかオフィスでは鏡と犬が区別できない

 

「会社」は仕組みのことだろう。「オフィス」は空間のことだろう。〈私〉は、まだ会社=仕組みに慣れていない。だから、オフィス=空間にあるさまざまなものの区別ができない。ほかの人たちは、鏡と犬を区別しているのだろう。鏡と猫だって区別しているに違いない。でも、それが幸せかどうか。

私たちは、鏡と犬を簡単に区別できると思っている。むろん、鏡と猫も。しかし、ほんとうにそうだろうか。鏡と犬が違うものである根拠はなんだろう。鏡と猫が違うものである根拠はなんだろう。

おそらく、私たちはその根拠をもっていない。慣れが判断させているに過ぎないのだと思う。

「五月だから雪が降るわと言ふやうなOLのゐるオフィスに通ふ」。彼女は、鏡と犬の区別ができるのだろう。しかし、「五月だから雪が降るわ」というのだ。