魚村 晋太郎


ぶどう・デラ 一房もぎて秋の陽に妊婦はあおき水透かしたり

早川志織『クルミの中』(2004年)

葡萄は果樹としての生産量が世界で一番多い植物。
栽培の歴史は紀元前3000年にさかのぼり、前1500年頃にはすでに葡萄酒もつくられていた。
日本での栽培のはじまりは平安時代の末期と伝えられているが、栽培がひろまったのは、江戸時代に棚作り栽培が指導されてからのことだ。

デラとはデラウェアのことだろう。デラぶどう、と呼ぶこともあるようだ。
品種名は原産地のアメリカの地名からきている。
葡萄は秋の季語だが、デラウェアは早生種で、7月から8月が旬である。
もともとは種のある品種だが、ジベレリンという生長ホルモンで処理をして種なしにする。
子供のころ、日日食べる葡萄といえばデラウェアで、粒の大きな巨峰やマスカットはたまにしか口にはいらなかった。
かつては、日本の葡萄生産量の4割くらいをしめていた。大粒の品種におされてしだいに生産が減った現在でも、巨峰についで2位の生産量をしめている。

葡萄をもいで、秋の陽にすかしてみる。
くらいデラウェアのひとつぶひとつぶの実のなかに、みずみずしい青いひかりが透けてみえた。
その清浄な感じと、みずからの身のうちに育ってゆくあたらしいいのちをかさねて、主人公の妊婦はうっとりとしたよろこびにつつまれている。
あおき光、ではなく、あおき水といっているのは、葡萄の実のみずみずしいさま詠っているだけではなく、雲になり雨になって地上をうるおす水の循環のようなものとして、自身の身にみちてゆく生命をとらえているからだろう。

生命と生殖のよろこびにみたされた一首には、いくばくかのかげりも感じられる。
西洋で葡萄は、生命と豊穣、そして歓喜と祝祭の象徴だが、一首に詠われているのは、小粒で種のないデラウェアである。
また、紫色系の葡萄は、オレンジとかスイカにくらべて、色彩もくらく、果皮もやわらかく、どこかはかない印象もある。
歓びにみたされながら、あたらしいちいさな命のおとずれにかすかなおそれをいだいている、主人公の敬虔なよこがおがみえてくるようだ。