吉野 裕之


とどろける環状七号線上の橋をしょんがらしょんがら渡る

阿木津英『白微光』(1987年)

 

私が阿木津英に出会ったのは、『白微光』だった。『紫木蓮まで・風舌』(1980年)、『天の鴉片』(1983年)に続く3冊目の歌集。まだ20代だった私は、添えられた一葉の写真の印象をもちながら、一冊を読み進めた。一冊の印象も、写真のそれと同じだった。そう、美しい知的な年上の女性に、くらくらっとしたのが懐かしい。

 

あかときに輝く月のくれないを古代おとめのごとく仰げり

大甕の底いに沈む棚雲にほがらほがらと赤丹(あかに)さしそむ

みずうみのうえ低く飛ぶ鴨鳥のくだれるときにみじかき音す

覗きこむ鏡のなかに発情をしているしるし口紅をひく

まことにんげん暑苦しくてくさひばりしき鳴く地球のおもてを歩く

三万円返しくれては借りてゆく左官屋夫婦来なくなりたり

今世紀終末にしてあがめらる自然食品のごとくにおんな

わたくしという現象がたそがれの楽鳴るあづま通りを過(よぎ)る

座席より見上げたるとき連なりてならぶ白環のいたくししずか

六十層積むビルディングは雨ぐもをまといておれり肩のあたりに

 

一冊は、多様な作品を収めている。私たちは人であり、そして個である。その個としての人が生きていることを、確かに掴もうとしている一冊なのだと思う。だから、一首一首がすっと立っている。知的でありながら、しかしけっして理で処理されていない清々しさが、心地いい。

 

とどろける環状七号線上の橋をしょんがらしょんがら渡る

 

はじめて読んだときから、一冊のなかで最も好きな一首だ。

環状七号線は、東京都大田区平和島を基点に、練馬区、北区、足立区、葛飾区などを経由して江戸川区臨海町に至る、東京の主要道路のひとつ。東京都道318号環状七号線。環状といっても、実際には「C状」である。日中の交通量は非常に多い。「とどろける」。まさにそうなのだ。騒音被害を訴える声を受けて、場所によっては最高速度制限をすこし低く指定していた時期もあったようだ。

「環状七号線上の橋をしょんがらしょんがら渡る」。「橋」は歩道橋のこと。下を流れているのは、水ではなくて車。しかしこの風景は、人の手によってつくられたものだけれど、いいかどうかではなく、もう人の力の及ばないものになっている。それが都市だと思う。車の流れ=道路は水の流れ=川の比喩ではなく、すでに都市の自然になっているのだ。だから、ここでは歩道橋ではなく、「橋」なのだと思う。

この都市の自然という新しい風景を「しょんがらしょんがら」と通過していくひとつの身体。「しょんがらしょんがら」というオノマトペは、その身体の外部と内部にあるストレスに対抗する呪文なのだろう。いうまでもなく、一首を一首にしているのは、このフレーズ。オノマトペの、つまり音の力が一首となった佳作である。