われに向ひて光る星あれ冬到る街に天文年鑑を買ふ

荻原裕幸『青年霊歌』(1988年)

 

サザンカと天文年鑑の時季となった。十一月の半ばがすぎて東京のデパートメントストアの上にさわやかな淡青の夕空がひろがるころになると、妙に天文年鑑を買いに行きたくなる――と白秋ならいうだろうか。

 

〈われに向ひて/光る星あれ/冬到る/街に天文/年鑑を買ふ〉と7・7・5・7・7音に切って、一首三十三音。二句切れで祈りのことばを述べたのち、いつ(冬到る)、どこで(街に)、何を(天文年鑑を買ふ)を、簡潔に伝える。すがすがしい一首だ。正岡子規〈真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり〉(*「真砂」に「まさご」、「其」に「そ」、「中」に「なか」のルビ)を踏まえる。

 

「天文年鑑」の投入によって、子規のフレーズを引きつつ新しい世界を作り出した。「天文年鑑を買ふ」と、書名が『』付でないのがいい。どのあたりの書名から『』を付けるべきかは、歌を作る時の悩みどころだ。古今集か『古今集』か、広辞苑か『広辞苑』か、聖書か『聖書』か。「天文年鑑」が歌の勝負どころなので、作者もさぞ悩んだことだろう。判断は正解だった。『天文年鑑』では歌が締まらない。

 

天文年鑑は、日の出入り、月の出入り、十二か月の星座、各惑星の動きなど、その年の天文現象を解説する一冊だ。誠文堂新光社から毎年発行される。初冬の街で、来年のカレンダーや手帳を買うのと同じように、歌の〈わたし〉は、天文年鑑を買うのである。いいなあ、私もそういう人になりたいなあ、と天文愛好家でもない読者はミーハー的に思う。作者の第一歌集『青年霊歌』に置かれる歌だが、天文愛好家はべつだん青年に限らない。歌の〈わたし〉は老若男女のいずれとも読める。九十五歳の女性が買う姿を想像してみるのもまた、歌を読む楽しみだろう。

 

誰も知らぬわれの空間得むとして空のままのコインロッカーを閉づ   *「空」に「から」のルビ

 

歌集には、こういう歌もある。「誰も知らぬわれの空間」を持つことは、あるいは万人の夢かもしれない。それを得るのに、「ホテルの一室を借りて泊まらない」方法は、懐にゆとりのある熟年向きだ。「寝台列車の個室の切符を買って乗らない」もしかり。コインロッカーあたりが、青年には手の届く範囲なのである。この歌の〈わたし〉は、若者と読みたい。「空間」「空」「コインロッカー」のK音のつらなりが、鬱屈感ただよう内容と響きあう。

 

「天文年鑑」の歌の〈わたし〉は、歌の中の世界で年鑑を買っただろう。一方、「コインロッカー」の歌の〈わたし〉は、ロッカーにコインを投入する想像をしただけで、歌の中の世界で行動には移さなかったのではないか。そういう印象をもつ。いい添えれば、作者が現実の世界でどんな行動をとったのかは、読者の関知するところではない。

 

さてあなたは、天文年鑑を買う人だろうか。かつて私は「来年の手帳と一緒に理科年表を買う人」になりたくて買ってみたことがあるが、本棚に差したまま一度も開かず数年が経過した。理科年表は私の生活と、何の関わりもないのだった。でも、天文年鑑なら、年に二度か三度くらいは開く機会があるかもしれない。そんな気がする。

天文年鑑の2014年版は、今週発売されると聞く。

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