雨荒く降り来し夜更酔い果てて寝んとす友よ明日あらば明日

佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』(1972年)

*「寝」に「いね」のルビ

 

勢いのある歌だ。
〈雨荒く/降り来し夜更/酔い果てて/寝んとす友よ/明日あらば明日〉と5・7・5・8・7音に切って、一首三十二音。雨が荒く降ってきた夜更、と二句でいったん小さく切れる。そんな夜ふけに、〈わたし〉は酔いはてて寝ようとしている。四句の途中「寝んとす」で大きく切れ、「友よ」と畳みかけるように続く。ここいらの呼吸が読みどころだ。この「友」は、今宵ともに盃を酌み交わし、ともに酔いはて、いましがた別れてきた友だろう。その友に向かっていう。じゃ俺は寝るからな、「明日あらば明日」。明日はどうなろうがまた明日のことだ、明日は明日の風が吹くだ。

 

内容もさることながら、韻律にも勢いがある。「アメアラク」と、ア行の音を重ねてつよく明るく詠い起こし、一転して「フリコシヨフケヨイハテテイネントストモヨ」と、ウ行音オ行音の連なりで声を低める。そして「アスアラバアス」とア行音を高らかに連打して終わる。緩急のつけかたにメリハリが効いている。読み手は快感をおぼえる。

 

一首は『直立せよ一行の詩』の巻末歌だが、この歌に私が出会った場は、作者の著書『NHK短歌入門 短歌に親しむ』(1988年)の、2000年発行第9刷だった。短歌の扉は開いたけれど、まだ自分で歌を作りだす前のことだ。同書は、各章の扉に作者自筆の自作一首が配されており、「明日あらば明日」の歌は第四章の扉に置かれていた。筆で書かれた文字は、端正にして奔放、繊細にして大胆。この人はじつにいい字を書く。ページの隅には、活字による一首も印刷されているが、筆文字の一首とは比べものにならない。ここでお目にかけられないのが残念だ。つぎのような四行書きである。

 

雨荒く降り来し
夜更酔い果てて
寝んとす友よ明日
あらバ明日 幸綱

 

四行目「あらバ明日」の「バ」に、とりわけ魅力を感じた。そうか、手で書くときはこういう字を交えるのだ。その場のノリで字を変えていいのだ。短歌って楽しい。

 

〈自分の酒の歌のなかで、気に入っている歌の一つです。じつは、私の結婚披露宴の時に、一合升にこの歌を焼きつけて配り、出席者の人たちにそれで酒を呑んでもらいました〉。一首の下に置かれた作者のことばを読んで、私もこの一合升がほしい! と思った。なんとうらやましい披露宴出席者たちであろうか。

 

一首の歌をめぐるもろもろ、その内容、韻律、手書き文字の勢い、実世界への応用。あけっぴろげな明るさが、佐佐木幸綱だ。

 

いい添えれば、私がはじめて短歌を作ったのは、この人に注文されたからである。『短歌に親しむ』の「はじめに」を開くと、「たった一首でも結構。この本を読む前に、まず、実際に自分で短歌をつくってみてください。これが著者からの注文です」とある。「一首でも自分でつくってみてから読む方が、ずっとこの本は理解しやすくなると思います」と続く。根が素直な私は、そこで一首作ってみたのである。幸か不幸か学校教育では作る機会のなかった私にとって、生まれて初めて作る短歌だった。

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