吉野 裕之


道ひとつ渡りて小さくなる兄の振り返り見る父も小さし

浜名理香『流流(りゅうる)』(2012年)

 

娘にとっての父。妹にとっての兄。私はそれを実感することはできないけれど、息子にとっての母や兄にとっての妹とは別の、しかし別とは言い切れないなにかがあるのだろうと思う。

家族は不思議だ。物心が付くまで、あるいは自立するまで、私たちは家族という場所で無条件に世話を受ける。無条件に。つまり、見返りは求められない。ただただ受け止めてもらう。だから生きていける。そう、信じることができるのだ。逃げたくなることもある。しかし、逃げることはできない。信じているから。

「道ひとつ渡りて小さくなる兄」。兄を見送っている父と〈私〉。兄は道を渡って遠ざかっていく。姿はだんだん小さくなっていく。「振り返り見る父も小さし」。兄がふと父を振り返る。その父は年老い、小さくなった。そして兄が小さく見えるのも、距離のせいだけではないだろう。「振り返り見る」。なんでもないような行為=描写がやさしい。

ただただ受け止めてもらう。だから、ただただ受け止める。家族という場所で出会ったことを根拠に。

 

昨日より少しふくらみたる月が味噌買い足しに行くころ昇る

花びらをひとひら乗せてゆく水に従(つ)きて流れてゆく鯉のあり

建物に添う陰のなか歩みきて日向に出れば日向の湿り

ひまわりの軒に咲かんとする家の隣に鍵を開けて帰りぬ

新聞の端を浮かせて盆すぎの風が畳を通りてゆけり

小走りに青信号を渡りくる乳の若きは揺れの少なし

突っかけを履きてぷらっと夕飯の後を明るき方へ歩みぬ

張りつめてしんと冷えたるふくらみを撫でおりたぶん月経が来る

脇腹を洗濯ばさみに挟まれて男のシャツが物干しに垂る

またすこし白の濃くなる屋根向こう梅の花咲く梅の木見えて

 

浜名理香はチャーミングな人だ。女が女であること、男が男であることを肯定する。だから、女がくっきり立ってくるし、男がくっきり立ってくる。そして、その間が素敵に揺らいでいる。

そんな清しさが、生に色を与える。「味噌買い足しに行くころ」「隣に鍵を開けて帰りぬ」「風が畳を通りてゆけり」「突っかけを履きて」「男のシャツが物干しに垂る」。日常の風景が、なんだかとてもいい。ここにはあたりまえの生活がある。あるいは、健全ということかもしない。

さまざまな技術の発達が、私たちの生活を便利にし、私たちの身体や家はどんどん拡張されている。しかし、本来あった身体や家はどんどん密度を下げている。むろん、浜名はこんな理屈っぽいことは考えていないだろう。「二桁の掛け算苦手鉄灸(てっきゅう)に白身魚を焼くのも苦手」。二桁の掛け算も苦手なのだから。そう、だからチャーミングなのだ。