魚村 晋太郎


時の骨むさぼるごとく生き来しと告げなば溶けむ夜天の月も

安永蕗子『流花伝』(1996年)

月は一年を通して身近な詩歌の題材だが、そのさやけさは秋にきわまることから、俳句ではたんに月といえば秋の月のことをさす。
秋には3回の満月があり、旧暦8月15日の月が仲秋の名月で、たんに名月ともいう。
1ヶ月前の旧暦7月15日の月を盆の月、ほぼ1ヶ月後の旧暦9月13日の月は後の月とよぶ。

初秋の満月を盆の月というのは、本来旧暦の7月15日前後が盂蘭盆会の時期だつたから。
今年は9月3日が旧暦の7月15日にあたり、9月5日が満月だった。
旧暦の15日がかならずしも満月にならないのは、月の満ち欠けの周期が実際には15日より短いことなどによる。
例年だとまだ暑さののこっている時期だが、夏のあいだの月とはちがう澄んだ空の様子が感じられる頃でもある。

時の骨をむさぼる、という一首の表現は凄いと思う。
必死に生きることは、ときとして、あさましさと紙一重だ。
あさましいほど必死に生きてきた、自身の生をつきはなして振り返り、そのようにしか生きられなかった自身の生をあらためてうけとめる一首である。
謙虚ではあるけれど、自負の歌だといっていい。

月が溶けてしまう、とはどんな様子をさすのだろう。
月が欠けてゆくさま、ということも思ったが、うす雲や暈がかかって、月のひかりがほんのすこしかげる様子を思い浮かべて読んだ。
自身の生をふりかえると、けざやかな月のひかりが曇ってしまうような気がする。
或いは、誰か特定な相手を想いながら、こんな私の生き様をあなたはどんなふうに思うだろうか、と問いかけるのか。