藤田千鶴『貿易風(トレードウインド)』(2007年)
トンネルは異次元空間。時間と時間を、空間と空間をつなぐ関節のようなものだ。
徒歩で抜けるか、車か、列車か。
地底や海底を走ったり、山岳をつきぬけたり、たまに河底をいったりもする。
そのにおい、温度、暗さは、条件によってちがってくる。
けれど共通点もある。細長くてときにカーヴする暗がりが、どれほどのものでどこまで続いているのか、トンネルに入ったときには大抵わからない。
また、抜けたときにある空間がどんな明るさなのか、どんな景色なのか、それもわからない。
列車などに乗っていると、突然、放り出されたようにその明るみに曝される。それがトンネルの終わりだと、その時に知る。
私はいま、会うために行く。
列車に乗っているのだろうか。車を運転しているのかもしれない。
きっと、相手はいつもは遠いところにいるひと。
トンネルに入るたび、得体のしれない闇がからだにせまってくる。息をとめる。時間が停滞したようにも感じる。
数秒、数分間の空白が、自分をあたらしくしてくれるような気がする。
そんな、時間や存在の空白を飛び越えたような感覚を、「生まれ直して私は」と表現している。
また、「トンネルをいくつも」という表現が、長い距離をもおもわせる。
あいに行くときに「何度も生まれ直」す感覚をキャッチするのは、相手が恋しい大切なひとだから。
そして、いつもの顔をぬいで、あなたに向きあう瞬間。