吉野昌夫『遠き人近き人』(1956年)
*「開」に「あ」のルビ
吉野昌夫は、1922年の今日12月19日に生まれ、2012年7月1日に89歳で死去した。作者の第一歌集『遠き人近き人』は、敗戦後まもない1946年から、1956年までの都市風景を中心に描く。
配管多き地階廊下にオルガンを持ち出してコーラスの練習始む
ビルのドアー開かれしとき冷房の重たき空気歩道に流る
アドバルーンのあげしネオンがたわみつつ数寄屋橋よりの空にかがやく
飛行機の撒きたるちらし駅前に落つるより早く子供等のもの
*「ちらし」に「、、、」の傍点
感傷におぼれない描写から、その時代の日本の匂いが立ちのぼってくる。物に即した描写の力だ。同時期の日本を描いたものに、1945年から二年間の都市風景に取材した近藤芳美『埃吹く街』(1948年)があり、こちらも感傷を排した描写が際立つ。当時三十代だった近藤作品の感触を「硬」とするなら、当時二十代だった吉野作品の手ざわりは、それよりやや「柔」よりの印象だ。
〈採光窓/歩道に開けば/地階よりの/光漏れ来ぬ/わが足もとに〉と6・7・6・7・7音に切って、一首三十三音。採光用の窓が歩道に向かって開いたので、地階からの光が〈わたし〉の足もとに漏れて来た。
目のつけどころがいい。足元の出来事に注目する。「採光窓」は「さいこうまど」と重箱読みをするのだろうか。「開けば~漏れ来ぬ」は、窓がいま開いて光が漏れて来た、と読める。だが事の経過としては、あらかじめ開いている窓の前を〈わたし〉が通りかかったのではないか。それを「開きゐたれば」「開いてをれば」とせずに、「開けば」といった。そう読んでみたい。夜の歩道だろう。〈わたし〉が歩いてゆくと急に足もとが明るくなった。おやっと思って見ると半地下の窓があった。
三句「地階よりの」に注目する。すでに初句が六音なので、三句は「地下よりの」とすれば、一音の字余りですむ。だが、六音の句が二つになろうと、「地下」より「地階」とした方が景は鮮明になる。作者はそう判断した。
歌は、「日比谷周辺」という章に置かれる。半地下の部屋はヨーロッパの街に多い。いたるところ歩道の高さに窓が並んでいる。当時の日比谷にもあったようだ。いまの日比谷にも、数は少ないながらあるかもしれない。
さきほど『遠き人近き人』『埃吹く街』の感触の違いをのべたが、それを煙草の歌で見てみよう。当時の日本は、喫煙率、喫煙代ともに高かったようだ。そこをどう切り取るか。作者の資質と人生経験の違いは、そのまま歌にあらわれ、それぞれの味わいとなる。
唇の熱くなるまで吸ひつめしタバコが細きけむりあげてゐる 吉野昌夫
灰皿に残る彼らの吸殻を三人は吸ふ唯だまりつつ 近藤芳美