うなだれてゐたるうばらが水上げて勢ひづいたりしやきつとしたり

春日井政子『細波』(2004年)

 

春日井政子は、1907年1月18日に生まれ、2001年の明後日12月23日に94歳で死去した。歌人の春日井廣(1896-1979)は夫、春日井建(1938-2004)は息子である。若き日の建は、〈夜学より帰れば母は天窓の光に濡れて髪洗ひゐつ〉(『未青年』)とこの人をうたった。

 

〈うなだれて/ゐたるうばらが/水上げて/勢ひづいたり/しやきつとしたり〉と5・7・5・8・7音に切って、一首三十二音。うなだれていた薔薇が水を吸いあげて勢いづいた、しゃきっとした。「勢ひづいたり」と「たり」で言い切って、すぐ「しやきつとしたり」と「たり」を畳みかける。勢いのある歌だ。

 

作者の第四歌集にして遺歌集となる『細波』は建によって編纂され、建の死後に出版された。「あとがき」に、建の妹森久仁子は歌集巻末歌である上の一首を引いてこう書く。〈それ(都築注 政子の死)は突然のことだった。亡くなる数時間前の最期の作品が前出の薔薇の水切りをした歌である〉。絶筆なのである。自宅で建と二人の日々を送っていた健康な作者にとって、建外出中の死は思いがけぬことだった。結果的に数時間後に世を去ることになる人が書いた歌の、この前向きな明るさ。薔薇のように〈わたし〉もしゃっきりしなくては。そういい置いて作者は去った。

 

齢九十歳になんなんとす「厳粛に受けとめて」さて何をなすべき

いささかのつつがのありて寝台に横たはり空と向き合ふ

ひとり居にいささか広き居間にをり灯の作る影はわれの客人

 

歌集には、ユーモアをたたえつつ背筋の伸びた歌がいくつもある。〈わたし〉の肉体状況がどうあろうと、精神は「しやきつと」しているのだ。建の歌に通じるものがある。

 

常と変はらぬ別れをなせし母そはの醒めざる眠りに帰りきて会ふ

 春日井建『井泉』(2002年)

うなだれゐし薔薇二輪を水切りしいくばくもなく逝きたり母は
*「薔薇」に「さうび」のルビ

 

『井泉』で「うなだれゐし薔薇」の歌に出会った私は、その二年後に『細波』で「うなだれてゐたるうばら」の歌に出会い、こちらが本歌であることを知った。『未青年』以来、母の歌を多く書いた建だ。政子作品を踏まえた歌も、読み手の側が本歌を知らないだけで、ほかにあるかもしれない。

 

てのひらに常に握りてゐし雪が溶け去りしごと母を失ふ

 春日井建『朝の水』(2004年)

 

母は「てのひらに常に握りてゐし雪」だった。この激しさ。建は母の歌を多く書いたといまのべたが、それは母というより恋人を描くように描いたのである。終生美しい母であった。建が「老母」「老い母」などの語を使ったことは一度もない。
なお、いい添えれば、昨日12月20日は建の誕生日である。

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