岡井 隆『αの星』(1985年)
20代の半ば、私は農学部で木材化学を専攻する大学院生だった。子どもの頃から理科が好きで、化学か生物の分野で仕事をしたいと思い、大学を受験した。希望の大学に入学し、大学院にも進んだが、なんとなく違和を感じていたのも事実だった。
修士課程2年のとき、実験データを整理しながらはっきりと自覚した。この分野で一生仕事をしていくのは無理だろう。誰からいわれたわけではなく、自分で気づいたのだった。だから、ショックは大きかった。
期待するような進捗を見せない研究をなんとかしようと、指導教官が企業の現場での研修を用意してくれた。講座のOBが所属する製紙会社のG市の工場で、数日間の研修を受けた。現場の技術者の方々はみなやさしかった。そして、指導を受けながら製造した数種類のカルボキシメチルセルロースを鞄に、G市を離れた。福岡への帰路、列車のなかで読んだのが、買ったばかりの『αの星』だった。
外は陽のあまねからむを戸ざしつつ寂しき愛を学に注ぎぬ
遠くより見守りて来(こ)し集団を眠らむとして切に思える
わが腕に涙ながして寝入りたるそのぬかの上のやわらかき闇
巻頭の「外は陽のあまねからむを」10首には、たとえばこんな作品が置かれている。私は、一気に引き込まれていった。
飲食(おんじき)の場に声あげていさかふを翼ある神は出で来てはばむ
ヘンデルの水上楽にしばししてこころの裾のうごく夕ぐれ
この老の血圧下げむために来てこころの凍る声をきいてゐる
人生はあるいは大き螢籠夕げののちをつつましきかな
たたかひをしてこしわれをしづかなるうからのかほがかこみて動く
老眼はしばしばふかく内を視るたとへば、と言ひさして止(や)みたり
三人子(みたりご)をつぎからつぎへ湯に入れて白鳥の倚(よ)るごとく疲るる
静かな、しかし伸びやかな張りをもった作品たち。この一冊と出会い、私は短歌という詩型の力を知ったのだと思う。
自信はなかったが、修論のための実験を再開した。
あたたかき日に氷片のごとき日をはさみて冬のはじめ子は癒ゆ
5・7・5・7・7。細かく見れば、5・(2・5)・5・(4・3)・(3・4)。リズムの巧みさが心地よい。
「あたたかき日」と「氷片のごとき日」の響きあいと二句の「2・5」の音の組み合わせが、「氷片のごとき」という比喩をくっきりと立たせている。印象的な上句だ。
「冬のはじめ子は癒ゆ」。冬のはじめはきらきらしている。子が癒えることもきらきらしている。
ひかりのような一首だと思う。
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一日おきの連載は思っていたよりも大変でしたが、多くの方々の励ましのおかげで、なんとか無事に最終日まで来ることができました。
すこしの例外はありますが、戦後刊行された歌集を読んできました。あらためて現代短歌の豊かさを実感するとともに、その現場にいることの喜びを思う、そんな1年でした。
一首鑑賞といいながら、毎回、多くの作品を引用しました。また、ときに誤読とも思えるような、わがままな読みをしてきたことも承知しています。多くの作品を紹介したいという思いと、自分らしいスタイルをつくっていきたいという思いによるものです。ただ、短歌は人の痛みや悲しみを掬う/救う器、という基本的な考え方は変わりません。どんなに厳しい表情をしていても、人に寄り添う意志に支えられた作品に惹かれます。
1年間お付き合いいただいたすべての方々に、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。