土屋文明『青南後集』(1984)
『青南後集』には昭和48年から昭和57年、土屋文明が83歳から92歳までの1285首がおさめられている。老いを嘆き、庭の草木の手入れが出来ないことを嘆き、妻に先立たれた日々のなか、この一首は若々しくかわいらしい感じさえもする。「デニム」というのはジーンズのことか、デニムのシャツのことだろう。白髪に青い生地が映えて爽やかなファッションの文明を想像する。
また「白い部屋にて」という連作では執拗に部屋に出るゴキブリについて詠んでいて、同じように蚤と格闘していた斎藤茂吉を思わせる。
背のはげし本の膠はゴキブリの好き餌といへど防ぐ術なし
本の膠なめつつ饑をしのびしといふ戦争の時を忘れず
殖えすぎる人間調節の戦争と哲人言へば我は俗人
膠は動物の骨や皮などを煮て固めたもので、古い書物には接着剤として使われていたようだ。それを餌としてゴキブリは文明の部屋に住み着いていた。一連からは苦戦している様子がみられ、薬をおいて防いでも温風器をつけて部屋にいるとゴキブリが殖えてしまうらしい。そして文明の歌はゴキブリから戦時中の飢えへと回想が及び、戦争に対する思いへと作品は広がる。「人間調節」は、哲人がそんな馬鹿げたことを言うのなら自分はあくまで俗人でいいと唱えている歌だ。
かうぞり菜の花も夕べは閉ざすのか今宵驚く小自然界
コウゾリナはタンポポに似た黄色の花で、道端によくはえている草である。その花が日がかげってくると閉じることにある日気がついた。植物に対する好奇心は晩年も変わらず旺盛で、小さな発見を「今宵驚く小自然界」と詠み、少年のような眼差しの文明が見えて来る。