たれこめて春の行方も知らぬ間に待ちし桜もうつろひにけり

藤原因香(よるか)『古今和歌集』巻第二春歌下80(905年)

 

『古今和歌集』春の歌、この一首には長い詞書が付いている。

 

「心地そこなひて患(わづら)ひける時に、風に当たらじとて、降(お)ろしこめてのみ侍(はべ)りける間に、折れる桜の散りがたになれりけるを見てよめる」、

 

つまり、病気をして簾をおろし、外出せずに閉じこもってすごした。そんなときに折り取って活けてあった桜の枝が、すでに散り頃になっていた。作者は、9世紀後半の女性、典侍(ないしのすけ)、内侍司(ないしづかさ)の次官であるが、ここでは「心地そこなひて患」う女性であることが重要だろう。

日々待ち望んでいた桜の開花だが、自分が病気になってしまったため見に行く機会がないままに花は散り時を迎えている。暮春の物憂いなまめかしい気分に、さらに病み上がりの女性のなまめいた姿がかさなって、なんとも艶冶なる美しさではないか。

詞書に「折れる」とあるように桜の枝を折り取って大きな甕に活けたのだろう。桜の大枝が大胆に活けてある様子を想像するのも豪奢な感じだ。作者名の「よるか」も、この歌の雰囲気にふさわしい物憂い艶めきを感じないであろうか。

『古今集』の歌は、子規が難じたように理屈の歌が多いのだが、この歌などは素直に歌われていて、妙な技巧を感じない。

 

ひさかたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

 

桜を詠んで名歌と言われる紀友則(きの とものり)の歌は、『古今集』春下、この四首後に並んでいる。